ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491720hit]

■狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか
 しげは相変わらずのスタミナセットで、唐揚げだの餃子だのにパクついていたが、私がラーメンを食べ終わったころになって、いきなり箸を私のラーメンドンブリに突っ込んできた。
 「何するんだよ!」
 「……ラーメン、残ってないかと思って」
 「ほしいなら、先に言えばよかったのに。でなきゃ自分で注文するとか」
 「アンタが食べてるの見たらほしくなったんよ!」
 やっと短い麺の切れ端を見つけると、舌先に乗せてにちゃにちゃ噛みながらニカッと笑うしげ。
 ……人の物がほしくなるって、そりゃ誰にでもあることだろうけれど、まさか実行に移すとは思わない。いくら夫婦の間柄だからって、しげの精神年齢、ちょっと低過ぎないか。
 最近しげは、職場で一緒に働いてるオジサンから「クッカーって、料理全部作れるの? 偉いねえ」と誉められたそうだが、幼稚な仕草から10代くらいに見られてるのではないか。そのことをしげは憤慨しているが、だったら、もちっとオトナな行動取れよ。たかが一本の麺を食べるのに、人のドンブリまで浚うなよ。
 いや、別に私ゃ、盗まれた一本の麺が惜しかったから言ってるワケじゃなくて(^_^;)。


 ドラマ『盤嶽の一生』<第8回>(最終回)「男と女」。
 全9回、とあったが、新聞には今日が最終回、とあったぞ。「幻の1話」でもあるのか。どっちにしろ、8回で終わり、というのは短か過ぎる印象だが、別に打ち切りにあったというわけではないらしい。
 ともかく、ここしばらくで一番上質な時代劇を見せてもらったって感じである。白井喬二の原作が入手困難な現在(それどころか山中貞雄の脚本集まで本屋で全然見かけねーぞ。タイアップぐらい考えてないのか)、貴重な映像化だった。
 『盤嶽の一生』というタイトルを昔聞いたときには、主人公の侍が、死んじゃうまでを描くのか、と思っていたが、『女の一生』などとはやや趣きが違っていたようだ。つまりはこのタイトル、騙されて騙されて、それでも人を信じずにはいられないお人好しの、一生コイツは呑気なまま青空のように生きていくんだろうな、と思わせる侍の「性格」を象徴しているのであった。
 融通が利かない無骨さ、それでもどこか爽やか、というキャラクターならば、本当に往年の三船敏郎に演じてもらいたかった感じではある。けれども役所広司、無骨さの中の軽みを今一つ出しきれていない恨みはあるものの、通して見れば、よく頑張ったと言えるのではないか。
 コアな時代劇ファンなら、殺陣などにもいろいろ注文をつけたくなるところだろうが、役所広司の殺陣は近年の腰の座っていない役者の中では、随分見応えがあるほうである。至芸とも言うべき戦前の嵐寛寿郎、近衛十四郎、昭和3、40年代の三船敏郎、若山富三郎あたりと比較したりするのは酷というものだろう。

 「騙す」物語となればいつかは出てくるだろうと思っていた宗教ネタ。
 教祖が桃井かおりってのは、どうなんだか。人を騙す新興宗教の教祖としては
呑気過ぎるんじゃないかと思ったが、教祖自身も騙されてたって役だから、まあいいのか。昔と違って、近年の桃井かおり、悪女役が似合わなくなってきてるけど、役者として小ぢんまりと収まってしまいそうで、ちょっと心配である。
 阿地川盤嶽(役所広司)は、源助(梨本謙次郎)とおりん(広岡由里子)という農民夫婦の家に厄介になっていた。
 村の周辺では、お蝶(桃井かおり)という女が「正直庵」という額を掲げて、霊験あらたかというお札を農民たちに売りつけ、農民たちから「生き神様」とあがめられていた。盤嶽は珍しくも、お蝶に疑いをかける。実際、「正直庵」は裏で久左衛門(國村隼)という、怪しげな男が糸を引いていた。
 盤嶽はお蝶に、「人の弱みにつけこんでお札を売るとは」と怒るが、お蝶に「盤嶽さんは強いからいいが、弱い人には神様との間を仲立ちする人が必要」と言い返す。

[5]続きを読む

06月18日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る