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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか
 死因は「虚血性心不全」と言うことだが、そんなよく判らん病名で説明しなくても死因はハッキリしている。太りすぎだ。見るからに100キロは越していたし、100メートル歩いただけで息切れがしてたって言うし、あれで心臓が持つほうが奇跡のようなものだ。
 けれどまさかナンシーさんが死ぬなんて予想もしていなかった。
 あの人の消しゴム版画は全然おもしろくなかったけれども、社会に対するキャッチーとしては有効だった。そしてあの毒舌たっぷりのエッセイ。
 同じ「毒」でも、ビートたけしのエッセイとは明らかに質が違う。
 たけしの時評は「いっそのこと○○しちゃえば」みたいなムリヤリギャグに仕立てようとして、失敗してハズしてるところが多々あるが、ナンシーさんの毒舌は実は「芸」ではなかった。いや、「芸」には違いないのだが、「芸」であるようには見せていなかったのだ。

 厳密に言えば、ナンシーさんのエッセイは「批評」でも「評論」でも「解説」でもなかった。客観的な真実を探ろうとするのが「評論」なら、ナンシーさんのは主観的な「印象」に過ぎない。
 しかし、ヒョーロンなんてシチメンドクサイ行為を日常行ってる庶民なんていはしない。ナンシーさんのエッセイに我々が拍手を送ったのは、それがどんなに主観的な思い込みに見えようと、誰もが「そうだよな」と納得する「絶対多数の」主観だったからである。主観も、そう思う人間が多ければ、客観となる。
 それゆえにナンシーさんの文章は、まさしく「時代観察者の証言」たりえていたのだ。

 ナンシーさんの文章は、テレビを見たときのストレートな庶民感情の発露であり、そこには、マジメな人間なら自分が悪人に見られたくなくて言い控えてしまう悪口を「思ったこと言って何が悪いの? みんな同じこと思ってんでしょ?」とサラリと言ってのける「粋」さがあったのだ。
 ああ、そうだよ!
 ナンシーさんは「粋」だったんだ!
 もちろん、ナンシーさんに対して批判がなかったわけではないだろう。
 ネットを散策してみると、小倉智明が「事実無根のことを書かれて……」とかコメントしてたそうな。ファンが追悼してる最中に自分のこと弁解するのか、小倉。……まあ、小倉は言うよな、そういうヤツだってことはナンシーさんも指摘していたことだ。
 「事実無根」って、おまえのヅラ疑惑か?(`▽´)
 別におまえが本当にヅラかどうかなんてどーでもいいんだよ。
 「ヅラに見える」、つまりは、エラソウなことコイてるけど、お前みたいなソトヅラだけ作ってるのがミエミエの胡散臭いヤツの喋くりの中身なんか、いっこも信用しちゃいねーよってことを言ってるんだよ。
 だからナンシーさんの言ってたことは「事実無根」でもなんでもないのだ。
 コラ小倉、テレビに出て、大衆の好奇の目に晒されるのは当たり前なのに、悪口言われたり陰口言われることにいちいち憤慨してんじゃねーよ、みっともないぞ。その程度の悪口を受け止める覚悟もねーのに、キャスターなんてやってんじゃねーや。

 いろんな人のナンシーさん追悼の言葉がネットに散乱している。
 大月隆寛のコメント、「単なるテレビコラムニストの死ではなく、思想的な事件であると思う」。それはその通りだけど、今それを言うか。そんな人が死ねば「持ち上げる」行為をナンシーさん自身が、嫌ってたんじゃないのか。
 なんだかピント外れなコメントが多い中、岡田斗司夫さんのコメントには打たれた。

 「コラムニストのナンシー関さんが亡くなりました。 
  ショックで悲しいです。 
  単行本は全て持っていました。 
  でも、いま悲しいのは「新作が読めない」というのとは、違う気がします。  ああ、僕はナンシー関が好きだったんだなぁ。」

 ナンシーさんのことを「消しゴム版画家」と言ってない(大月さんも「コラムニスト」と言ってるけれど、「テレビ」と付けていたのが惜しい)。
 わかってらっしゃるのだ、この方は。
 なんだかもう、一緒に生きてた人が亡くなった。そんな気持ち。
 悲しいよ。
 

 マンガ、いしいひさいち『B型平次捕物控』(東京創元社・630円)。

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06月12日(水)
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