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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ヒミツ、ヒミツ、ヒミツのしげ/『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(土屋嘉男)
 日本のように文化が偏在している国では、「誰もが知ってる有名人」なんてのは実は存在しない。「黒澤明? 誰それ?」とポカンとする人間と、「黒澤明を知らないのか?!」と憤る人間とが、どちらも等価値で存在しているという奇妙な国なのである。
 もちろん私は後者なのだが、日頃、周囲にいる人間がほぼ前者なもので、もうイライラが溜まることったらねーやな。
 だいたい、国語の教科書・参考書のどこにも「映画」の項目がなくて、『七人の侍』も『生きる』も『用心棒』も見たことがないって世代を生み出し続けてる国なんだぞ、日本は。
 そんな環境の中で、いくら「黒澤はスゴイぞ!」と私が口角泡を飛ばしたところで、知らない人にその凄さを伝えるのは不可能に近い。リバイバルもテレビ放送も殆どされなくてビデオも発売されていなかった時期、10年以上、黒澤映画が見られなかったこともあったのだ。
 アンタね、子供のころの私はだよ、両親から「ミフネはもう『七人の侍』が最高だ!」とか、「主役が七人もいる映画なんて、それまでの日本映画にはなかった!」とか力説されて、なのに見ることができなかったんだぞ。今やいつだってビデオでレンタルできるようになってるってのにまだ見てないヤツは映画ファンを名乗るなと言いたいぞ、マジで。
 現在ですら、アメリカでは『七人の侍』のDVDが発売されているのに、日本では未発売なんだものなあ。……と、この辺の愚痴は本書の内容とはカンケイナイ。
 言いたいことは、やっぱり本書を読む前に、黒澤明初心者は、せめて『七人の侍』くらいは見ておいて欲しい、ということなんである。
 黒澤明という人がこの文化果つる日本でどのように持ち上げられあるいは全く逆に蔑まれてきたか、その流れを知っているのと知らないのとでは、この本の面白さは天と地ほども違う。

 けれど、矛盾するような言い方で恐縮ではあるが、たとえ黒澤映画を一本も見ていなくても、やはり本書を手にとってみてほしいのである。
 評論家が扱うことのない、日常の黒澤明、人間黒澤明がここには生きているのだ。それは、肝胆相照らすように黒澤明と衣食をともにした「弟子」である土屋さんだからこそ描けたものであろう。
 極めて心情的でありながら、決して黒澤明の名声におもねることのない土屋さんだからこそ黒澤明の喜びも悲しみも憤りも、目の前に黒澤明がいるかのように活写し得たと言ってもいい。
 監督と土屋さんと、やたら連れションする話が出てくるのも面白い。
 だいたい、二人の出会いからして偶然便所で出会っているのだ。
 河原で連れションしてたらヘリコプターが飛んできて飛沫が上がったんで腹立てて石投げつけたとか、そんなエピソード、他の黒澤本に出て来るものか(^_^;)。
 「カレーは黄色くなくっちゃ。今のはみんな茶色でダメだ」なんて黒澤さんのセリフ、今の若い人にはわかんないだろうなあ。昔の「ライスカレー」はホントに黄色かったんである。だって食べると舌が黄色くなってたのだ。
 グルメなんて言葉がない時代の「味」の方がずっと味わい深かったように思うのは、郷愁だけではない気がする。

 土屋さんは、やがて黒澤映画から離れる。
 三船さんや他のたくさんの役者さんが黒澤映画から離れていったように。
 その理由について土屋さんは詳しくは語らない。
 いや、語っているのだ。しかしそれは「監督との確執」だの、マスコミが喜ぶような通り一遍のコトバでではない。
 その日、雪が降っていた。
 黒澤明が小さく見えた。
 土屋さんはそう書く。
 そして、多分、それだけで充分だったのだろう。

04月10日(水)
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