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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■バラゴンには女の人が入ってるんだよ/映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』ほか
いったい、金子監督は、どういう映画を作りたかったんだろうか。
パンフレットには、「怖いゴジラ」「戦争の亡霊としてのゴジラ」「悪役ゴジラ」……つまりは「第一作の原点としてのゴジラ」を描こうとしたとある。
でもその三つのうち、どれか一つでも達成出来たものがあるだろうか。
まず、ゴジラは平成シリーズ並みに、相変わらず怖くない。
そりゃ、幼い子供はゴジラが鳴いただけで怖がるかもしれないが、いくらゴジラが人を踏み潰そうと篠原ともえを殺そうと(^^)、「ゴジラは怖い」「ゴジラ憎し」という感情は生まれてこないのだ。
それはひとえに、2番目の「戦争の亡霊としてのゴジラ」の設定を作り間違えたところに原因がある。
天本英世扮する伊佐山老人の言によれば、ゴジラがなぜ現代日本に現れたか。それは、我々日本人があの戦争の記憶を忘れてしまったからだという。……おいおい、それってゴジラが実は小林よしのりってことかよ(^_^;)。
腐りきった日本に鉄槌を下すためってんなら、ゴジラはいいことしてるんじゃないのさ。
実際、篠原を殺すゴジラと、暴走族を殺すモスラとに差異はないのだ。結局、悪いヤツら、ふざけたヤツらが殺されているだけなのであって、殺される人間たちに観客は同情しない。
どうしてあそこでシノハラ使うかなあ。あれが野村佑香だったら、私はきっとゴジラに際限のない憎しみを感じたであろうに(^^)。
……いや、今のは冗談だが、演出が結局甘いのである。だって、「人が死ぬ」ったって、死体の描写が全くないんだし。
第一作のゴジラがなぜ怖く、憎らしかったか。報道の使命に燃えたアナウンサーたちを殺したからだ。戦争で生き残った母子を踏み殺したからだ。
だからゴジラへの「ちくしょう」という叫びが切実に響いた。
確かに、ヘリコプターがバラゴンアタックで落とされ死ぬシーンがあり、ヒロインが「あの人たち、死んだ……」というセリフもあるが、第一作とは重みが明らかに違う。それこそ、「戦争の記憶を忘れた」人間たちがいくら死んでいったって、ゴジラへの憎しみはわかない。
更に言えば、ゴジラが「戦争の亡霊」なら、日本を襲うより、アメリカに行くのがスジではないのか。それともゴジラもまた自虐史観の持ち主か(ーー;)。
結局、ゴジラはただ無意味に暴れているだけだし、ヤマト三聖獣も、いったい何をゴジラから守っているのか解らない。人間を守ろうとしているのではあるまい。ならば「自然」を守っているのか?
だったらこの三聖獣こそ、真っ先に日本人を、人類を、滅ぼすべきだったろう。ゴジラ出現よりももっと早い段階で。
結局、今回のゴジラ、怖くも戦争の象徴にも悪役にもなってないのだ。監督の意図通りの映画になってないという時点で、これはもう「失敗作」と断じていいのではないか。
なのに、なんかネットでもこれを絶賛してる人、多いんだよなあ。
これだけ設定やストーリーに破綻がありまくりなのに「破綻がない」なんて言ってる人まである。これはもう、ずっとゴジラ映画に不満があったんで、ちょっといい点があったらそれがすごくよく見えちゃうという、「だめんずに引っかかる女」みたいに怪獣ファンがなっちゃってる結果ではないのか。
下手にこんなもん誉めてたら、もっといいもんが出てきた時に、「アイツ、あんなもん誉めてたんだぜ」とか言われちゃうぞ。
そろそろ東宝には本気で特撮映画を作ってほしいんである。
ゴジラに結局頼ってしまうという体質自体を変えてもらわなけりゃ、寅さんに頼ってた松竹の二の舞だ。
そのためには、ホントはこんな言い方はしたくないのだが、「オトナの鑑賞に堪える」映画を作ってほしいんである。もちろん、ただ威張ってるだけの「自称オトナ」でなく、「映画を見る」ことに長けたオトナが楽しめる映画を、ということだ。
これはもう、ウラミを込めて言わせてもらうが、日本人の自称オトナは、本当に腹が立つくらい映画を見ない。アニメや特撮は初めからガキの見るものということでバカにする。そのクセ、そいつに教養があるかというと、『脳内革命』を読んで真に受けてたりする程度の脳しか持っちゃいないのである。
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12月18日(火)
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