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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)
 まさしくそれは、一般的な表現媒体には表れにくい、「時代の潜在意識」とでも言えばよいようなものだからだ。個人の場合と同じく、時代のそれもまた、単純に「いい悪い」で査定していいものではない。
 その「悪意」は、後の時代から見て、この時代の人間が、「他人の不孝を精神的な糧として生きていたのだ」という事実を確認するための、何よりの証左となるのだ。

 だからと言って、私ゃあの犯人を「タクマくん」なんて呼ぶ気にゃ絶対になれん。
 別に善人ぶってるわけじゃないよ。
オノレの「悪意」をコントロールできない人間にシンパシィを感じなきゃならん義理はないだけの話だ。


 マンガ、夏目義徳『トガリ』3巻読む。
 またタイムリーにも、主人公のトーベエが通り魔殺人犯を追いかける話。タイムリーすぎて、自粛とかさせられないか心配だな。
 ついにトーベエ、子供の命を助けてしまう。しかし「咎」を倒すことの出来る木刀「咎狩(トガリ)」は、「悪」を力に変える刀。人を助けたトーベエは「咎狩」を操る力を失ってしまう。
 この二律背反な設定を作者はまだうまくコントロールしきれていない。でもだからこそ一つ山を越せれば俄然面白くなりそうな予感はある。
 地獄の統率者エマの「扉の向こうにあるのは希望か絶望か」というセリフ、ありふれてはいるが、まさしく「咎狩」の設定はそこに収斂されてゆくべきものだろう。
 ここまで話を広げたのである。作者には、悪を倒すのに、愛と正義では足りないものなのか、生きることはより強い悪を求めねばならないことなのか、あまり小ぢんまりとまとめずに答えを出していってほしいものである。
 ちゃんと百八つの「咎」を倒した先に何が見えてくるのか、『どろろ』みたいに尻切れトンボにならないようねがうものである。

06月20日(水)
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