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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)
でもそこで黙ってられないのが、私の悪いクセなのだろうな。
実際、黙ってると、右の人も左の人も図に乗ってつけあがってくるし。一応、一言「バカ」って言ってやっとかないと、周囲の被害者が増えるばかりなのだよなあ。
一応、この本で評価されるべき点は、その基本姿勢にあると言えるだろう。
「歴史を学ぶのは過去の事実について過去の人がどう考えていたかを学ぶことである」という本書の執筆動機は全く正しい。現代人の常識や感覚で過去の人々の行動にムリヤリ基準を当てはめては、歴史の持つ意味など理解できるはずがない。文化相対主義はタテの時間軸にも連用されねばならぬものなのである。
その点「神話」が盛り込まれていたからと言って、その事実をもってのみ「偏向」と呼ぶのは批判になっていない。「神話」が歴史であった過去は確実にあったのだから。それを否定すること自体「歴史の捏造」にほかならないだろう。
しかし、そういう姿勢で書かれたはずの本書が、その方針通りになりきれてない点があるのはやはり指摘されてしかるべきではないか。
例えば、「神話」をとりあげるのはよいとしても、そこで特にピックアップされているのが神武天皇と日本武尊であるというのはどういうわけか。『古事記』『日本書紀』を子細に研究した者なら理解できることだが、大和朝廷を正当化しようという意図のもとに編纂されたにもかかわらず、日本の神話は「まつろわぬ人々」の痕跡を色濃く残している。
国造りの神ということで言うなら、出雲神話の主役である大国主の扱いが少ないのは明らかに偏向である。日本の国造りを行った実質的人物は彼だということになっているのに。
その程度の偏向は大したことない、という人もいるかも知れない。決して民主主義を否定するものではないからと。
しかし、たとえそうだとしても、この教科書を使って「皇国史観」を生徒に教えこむことは可能なのである。何しろ日清戦争時の「木口小平」までこの教科書では復活しているのだから。
結局は教科書がどうだろうと、「教える者の意志」次第だってことになっちゃうんだよなあ。
夕方6時ごろ、ビデオカメラを借りていたUさんから電話。
「撮影終わりましたので、今からお返しにあがっていいですか?」
「いいですよ」
「じゃあ、ちょっと用事があるんで9時に参ります」
……え? 今、「今から」って言わなかった? Uさんの「今」ってのは3時間後ってこと?
相変わらずどこかハズしてる方だが、かと言ってまた返しに来る機会がいつになるかわからなくなるのも困るので、どうぞお出で下さいと言う。
以前の日記で、Uさんの要領の悪さについてクソミソに書いてたのだが、どうやらUさん、全く読んでいなかったらしい。私も性格が悪いので、読んだらどんな反応してくるかなあ、と楽しみにしていたのだが、なんの音沙汰もなかったので、ちょっと拍子抜けしていたのだ。
ウチに来るなり、パソコンで件の日記を読んだので、Uさんご立腹されるかと思ったら、「申し訳ありませんでした」と謝られたので戸惑う。
非難されるだけのいい加減なことやっときながら開き直って逆ギレしたウチの職場の上司と比べると雲泥の差だ。人間ができている。
……困ったなあ、こんなにいい人じゃあ、そうそう悪口が書けないではないか。この日記、基本的に他人の罵倒をネタにするというイヤらしいコンセプトで書かれているにもかかわらず、実際には私自身の小心さゆえに、ごく少数の身内のことしか書けずに困っていたのに。
本人の意志はともかく、しげと藤田くんと桜雅さんとUさんについては何を書いてもいいと思ってるとこがあるのだな、私は(^_^;)。貴重な一人を失うか?
でも、「すぐ帰りますから」と言いつつ、夜中の1時まで居座ってたから、もちっと悪口書いててもいいか(^。^)。
世間一般の常識と私の常識とはズレている点もあるだろうから、ここで書いておくが、私にとって他人にかける迷惑、他人からかけられる迷惑というものはどちらも腹立たしくはあるが、否定されるべきものだとは思っていない。
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06月12日(火)
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