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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)
 あのさ、例えば「不治の病」の人間ってさ、現実的に「病院から出られない」わけだけど、「病院から出さない」ことを目的に入院させるわけじゃないでしょ? あの犯人を社会に出すわけにはいかないけど、「閉じこめとけ」と言うのは間違いというのはそういうことなのよ。
 彼を隔離しておくにしても、治療や管理のためには今後も誰かが彼に関わっていかなければならないってこと、忘れてないかな? 専門家に任せて自分は知らんぷりか? 自分の家族にキレたヤツが出ても、「あとは病院に」で終わらせるつもりかね? それじゃあの犯人のオヤジと同じだわな。
 自分が関わる気もなくて、簡単に「閉じこめとけ」とか「死刑にしろ」って言うのは、結局「臭いモノにフタ」「事なかれ」的発想の、無責任な発言でしかないのよ。
 ……おっと、この日記のタイトルにもあるまじき責任ある発言をしてしまったな(^^)。
 もちろん私はしげがイカレて刃物振り回すことになっても、一応病院にはブチ込むだろうが、それでそのままに放置する気はないぞ。たとえ治らない病気でも、治ることを信じて看病するよ。その覚悟もなくてなぜ「家族」でいられる?
 もっとも逆に私が狂った場合、しげの方は私を見捨てそうだけど(^_^;)。

 だからさ、この事件でまず問わねばならんのは、あなたの身内がイカレたらどうしますか? ってことなんだよ。それについてきちんと考えてからものを言おうね、みんな。


 仕事が長引いて帰宅が遅れる。
 『犬夜叉』も『コナン』も見損ねた。テレビを慌ててつけると『水戸黄門』のオープニングが。
 あっ、頭から初めて見たけど、オープニング演出、市川崑がやってたのか。六分割の(と言っただけで市川ファンは何のことか解るね)黄門とは大笑い。でもさすがにトシ取ったせいか、往年の『木枯し紋次郎』のオープニングほどの才気は感じられなくなっていたな。
 新世紀の黄門、を謳っているわりには新味がない。石坂浩二はまるで黄門に見えないし。助格が目立たないってのも何だかねえ。伝統的に黄門ものの主役は助格の方だってこと、忘れてるんだよなあ。爺さんより若手が動かんでドラマが成り立つかい。

 矢崎存美『ぶたぶた』読む。
 『ぶたぶた』シリーズ第一作。正直言って、題名に引かれただけで、何の期待もしないで買って読んだ。
 やられた。
 笑って泣いて、映画でならよくする経験を小説でやられるとはなあ。
 タイトルロールの「山崎ぶたぶた」君、彼は喋るぬいぐるみである。
 主役、というわけではない。これは彼に出会った人々の、困惑と驚愕と、笑いと涙とちょっぴりの感動の物語なのだ。
 なぜぬいぐるみが喋り、牛乳を飲み、パスタを食べるのか。
 そんなもの解らない。けれど彼は何となくそこにいて、何となく周囲に受け入れられていく。
 特別ニュースになるわけでもない、まあ、世の中そんなこともあるか、というお気楽さで彼はそこにいるし、彼と出会う人々も初めこそ驚いていても、いつの間にか心が和んでいる自分に気付く。
 たまにぶたぶた君に説教されたりもするのだ。
 ぬいぐるみに説教されてもなあ、と思いはするが、でも全然押しつけがましくないその言葉を聞いてると、なんだかつまらんことで悩んでる自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 ぶたぶた君はいったいどれくらい生きているのだろう。
 ある時はベビーシッター、ある時はタクシーの運転手、ある時はフランス料理店のシェフ、ある時は玩具屋の店員、ある時はただのプー、ある時は殺され屋、ある時はサラリーマン、ある時は記憶喪失のぬいぐるみ、しかしてその実体は!
 ぶたぶた君である。
 いいじゃないの、それで。
 ……ああ、これって『異星の客』のその後なんだな。
 SFファンにもファンタジーファンにも、いや、ともかく「何となく変な自分が愛しい」人々に一読を勧めるものである。

06月11日(月)
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