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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』
『ヒカルの碁』のオフィシャルサイトやファンサイトを覗くが、やはり「アニメ化決定!」とウワサされつつ、詳細は全く判っていない。
それはそれとして、あちこちサイトを覗きながら気づいたことなのだが、私は初めてっきり、『ヒカ碁』のファンページは「佐為さまラブ」みたいなサイトばかりじゃないかと思っていたのだ。
ところが、めぼしいもののほとんどが「碁」の解説サイトである。もうマジメもマジメ、碁を全く知らない私にはチンプンカンなヨセだのハネだの、マンガ中で私が読み飛ばしている専門用語が解説なしで(解説するならそこから始めてほしい……)飛び交っていて、みんな真剣なのがよくわかる。
うーん、『ヒカ碁』が碁ブームを巻き起こしたってオビに書いてあった惹句、あながち誇大広告ではないのだなあ。今回の佐為VS名人の元ネタになる棋譜も実在してるそうだが、それだけリアルに描こうという作者の気概の表れなのだろう。
碁を知らなくても楽しめるマンガだが、碁を知ってたら恐らく3倍、4倍楽しめただろうと思うと、死んだおふくろにもっと将棋や碁を習っとくんだったなあ、と後悔しきりである。
夜、合唱団のUさんから電話あり。
知り合いの結婚式の撮影のためにビデオカメラを貸してほしい、ということだったが、ついでに聞いた世間話の中でちょっと驚いたことがいくつか。
一週間ほど前、東京で「野猿」の解散コンサートに行ったあと、「死ぬ理由もないが生きている理由もない」と遺書を残して飛び降り自殺した少女、Uさんの話しによると、どうやら知り合いの知り合いらしいのだ。
ということは私の見知らぬ子ではあるのだが、いやはや、こりゃあまりからかうようなもの言いがしにくくなってしまった。
宗教嫌いの私にしてみれば「命を大切に」なんてスローガンは宗教そのもので口が裂けても言えない。自殺した子にとっても、こんな言葉は一番自分から遠いセリフだったはずで、それを口にすることが偽善であるどころか死者を鞭打つ行為であることは明らかである。
死んだ子は「生きる理由がない」と言ったのだ。この世に生きるための絆がなかったのだ。今更「命を大切に」だなんて、その絆がなかったことの責任を、誰かに負わせるつもりか。それは死者にか、残された人々へか。
無駄だ。
誰にその原因があるかなんてことを話したって意味はない。それはただの事実に過ぎなかったのだから。その子は自分のことを「路傍の石に過ぎない」と言っただけである。
「死ぬ理由もないなら生きててもいいじゃん」という言質も遺書の言葉の意味を捉えきれてはいない。自分の存在が石のように希薄になっていけば、人はその存在を確認するために暴力的な行為に出ることが往々にしてある。
「私はただの石ではない」という主張である。
彼女の場合、それは内に向かって放たれたのだ。外に向かって、殺人なんかを起こされるよりは遥かに理性的な処断である。もっとはっきり言えば、彼女の自殺は一種の「自決」なのであって、それに対して他人がどうこう言える問題ではないし、言うべきでもない。
エスクァイアマガジンジャパン刊、『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』読む。
歌手や俳優や評論家、映画監督などなど、ほとんど誰彼なく無節操に「あなたの大好きなアニメは?」とインタビューしたもの。
これについて書き出したら、いくら時間があっても足りるまい。
しかし、これだけは必見、というものを選べば、『幻想のルパン帝国』の作者である高橋実による、『カウボーイビバップ』の監督渡辺信一郎へのインタビューだろうか。
「スパイクを死なせることに意味があった」と監督は明言する。
『ビバップ』の主人公、スパイクの片目は義眼だった。最終回、彼は、「義眼で現実を見、本物の眼で過去を見ていた」と語る。ビバップ号での夢のような日々、あれは作りものの眼で見た風景だった。言いかえれば、あのアニメ自体がただの「虚構」であり、「夢」だったのだ。
男が本当の眼で、現実を見る時、彼は過去を見て死を選ぶことになる。スパイクの死はある意味自殺であった。
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05月22日(火)
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