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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■鼻血ブーって覚えてる?/『ブレーメンU』2巻(川原泉)ほか
 見知らぬかわいい女子高生が突然、部屋に訪ねてきて、「泊めて……泊めてくれたら何をしてもいいよ」と言う。男の欲望を充足させるためだけのような展開は、どうにもあざとくて好きになれない。
 でも、現実の女って、そんなやつが多いんだよね。
 結局、男の好むシチュエーション、男の好む姿態、男の好む愛の囁き。そんなものを与え続けることでしか自分の居場所を確認出来ない。
 作者が意識しているかいないかは分らないが、今回のストーリーの骨子には『ファウスト』がある。「もう一度過去に戻れるなら」という普通はSFやファンタジーで描かれるべき題材だ。それを作者は、「現実」として描いた。夢想を現実化するためには、「あざとい展開」は不可欠だったのかもしれない。
 『ファウスト』からあまりにも離れたところに少女たちは佇んでいる。少女たちの世界はあまりにも小さく狭い。
 男には女を哀れむことしかできないのかもしれない。

 マンガ、秋本治『こち亀’76』。
 雑誌形態で出たものをつい購入。いや、今更124巻も揃えられませんて。
 なぜ『こち亀』がここまで続いたか、という分析、意外と誰もやってないのね。岡田斗司夫さんが以前、「ドラえもん=両さん」説を唱えてたことがあったけど、ちょっと無理がある気がする。いつでもそれなりの人気があったこのマンガを誰も打ち切ろうとしなかったってだけじゃないのかな。
 それにしても最初期の両さんは今より遥かに「まとも」だなあ。

 マンガ、新井理恵『× ―ペケ―』4巻。
 新井理恵って、『ケイゾク/漫画』を描いた人だったんだなあ。未だに女房買い続けてるけど、面白いか? これ。

 「キネマ倶楽部」の会報が届く。
 森卓也さんが毎号日本の喜劇役者について思い出を語るのだが、今回は柳家金語楼の巻。実は私が最初に覚えたコメディアンがこの人。多分、私は『ジェスチャー』のギリギリ最後に間に合っている世代である。
 戦前の警察による芸能人の統合整理で、落語家をやめざるを得なかった金語楼は、そのころにはもう全く落語はやっていなかったが、それでも私にとっては、当代一の名人としてのイメージが親から刷り込まれていた。
 例の『兵隊落語』のレコードを曽祖父が持っていて、母に繰り返し聞かせていたために、その母から「ヤマシタ、ケッタロー」のギャグを散々聞かされていたからである。
 曽祖父曰く、「エノケンはドタバタやってるだけで芸はない。本当の芸人は金語楼だ」。 
 この評価が正しいかどうかは置くとしても、戦前、金語楼がどれほど高い評価を庶民から受けていたかが解るセリフだ。森さんも、安藤鶴夫の「恐らく現代のいかなる第一流の落語家も太刀打ちできない」というコトバを引用してその技量を称えている。
 私が実際にその人の芸を見て「これはうまい」と思えたのは、古今亭志ん朝、春風亭小朝、立川談志の三人だが、もちろんその技量は昔年に比べれば落ちていることは否めない。円生も志ん生も私の記憶ではじいさんの芸だ。
 早くに落語をやめたことが金語楼をして伝説の落語家たらしめたのではないかとも思う。

 NHKの『真剣10代しゃべり場』に庵野秀明監督がゲスト出演していた。
 テーマは「一人でいるのはいいこと? わるいこと?」という、本当に今時の10代はこんなことで真剣に悩んどるんかいの、とい言いたくなるしろもの。
 本人たちは真剣かも知れんけどねー、そんなん語り合わなきゃならんもんかねー、という題材だけどねー。
 と思ってたら、庵野さん、番組中についポロッと「まあ今度のテーマはつまんないから」と一言。ああ、身もフタもない(^_^;)。
 確かに『エヴァ』だけ見てたら、このテーマ、庵野さんにあってるように見えるかもしれないけど、もう監督自身は次のところに進んじゃってるんだよね。いつまでも人が同じところにいるものと思っちゃいけないのである。

04月05日(木)
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