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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ストレス解消!/映画『サトラレ』/『犬夜叉』20巻(高橋留美子)ほか
 サトラレを監査する役の鈴木京香も、実にいい表情をする。最初は全くサトラレの安藤政信から相手にされてないのに、これも仕事だからと近づいていくうちに逆に惚れられてしまう。でもその思念波がストレートに伝わっていながら気がつかないふりをせねばならない時の嬉しいような困ったような引きつった表情がかわいい(はあと)。で、その表情もサトラレに「かわいい」と思われちゃうのだ。どうすりゃいいんだか(^^)。まあ全く精神分析医に見えないというネックはあるんだけど。
 でも最高にいいのはサトラレのばあちゃん役の八千草薫である。
 いいよいいよと聞いてはいたけど、ホントにこんなにいいとはなあ! この映画を見て全く泣かなかった庵野秀明が唯一「八千草薫がいい」と言っていた理由がよく解る。イマイチな脚本を八千草さんの演技が十全にカバーしているのだ。これはもう「理想のおばあちゃん像」と言ってよいであろう。どんなにいいかは映画をまだ見てない人のために書かないでおくけど、『ガス人間第1号』と合わせて私はこの二本を「八千草薫SF二部作」と呼ぶことにしたぞ(^^)。
 しかし後半、物語がコメディからシリアスに転換していくあたりから、脚本の齟齬が露呈していく。ドタバタコメディで処理するならともかく、シリアスにしちゃうと、サトラレの思念があたり障りのない「いいひと」的なレベルを超えないことの不自然さが露呈してくるのだ。人間の心って、きれいごとばかりのはずがないからね。それで映画はもう一人のサトラレを出して、欲望だの憎しみは全部そいつにおっかぶせちゃった。
 でも、これって姑息な手段なんだよなあ。本来、主役一人にサトラレ的特徴は集約させるべきなのにそれを分散させているってのは、結局、この監督が客に迎合しているからなのである。いや、それよりもっと悪い。監督は堂々とこれを「泣きの映画」と宣言してるのだから。
 客は汚いものなど見たくはない。サトラレが心の奥底の黒い思念を周囲に振りまくキャラであったら、客は拒否反応を起こして決してそいつに感情移入しない。だから、主役はあくまで純粋で子供のような心の持ち主と設定する。そうすることで、サトラレの悲しみを観客は自分の悲しみであるかのように感じて泣くことができる。姑息と言うより卑怯な手段かな。
 当然、「そんな純粋な人間が現実にいるか」という思いを抱くやつも出るだろうから、「いや、決して人間を表面的に捉えてるわけじゃないんですよ」と客とヒヒョーカをだまくらかすために、もう一人の「醜い」サトラレを出した、と、そういうことなのですね。
 しかし、この程度の欺瞞で客を泣かせることが出来ると監督が考えてるってのは、あまりに客をバカにしてはいませんかねえ?
 でも会場の客たち、泣きまくってたんだよなあ。ああ、なんでみんなこんなにコロリと騙されちゃうのかなあ。
 人間は誰でもどこかドス黒いものを持ってて、それを含めた上での人間なのである。それを認識しない人間描写など、ただの差別だ。これを見て無条件で泣く客ってのは、自分自身の醜い部分から目を背け、他人の欠点だけを糾弾して平気でいられる無自覚な偽善者である。
 さて、ならばエラソーな口叩いている私自身がどうだったかというとしっかり泣かして頂きました(^o^)。だって私は偽善者だもの。
 多少他の客と泣き所が違うとは言え(私が映画見て泣くのはたいてい「悔し涙」で、今回も「あんなばあちゃん欲しかったなあ」である。ウチのは祖母さんもお袋も因業ババアだったしな。だから好きだったんだけど)、泣いたことに変わりはないから偽善者であることは否定できんわな。で、その偽善者的なところも人間のドス黒い部分なので、目くじら立てずにお互い許しあいましょうよ。さあ、みんなで泣いてりゃ恐くないよん。

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03月23日(金)
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