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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■DO YOU REMEMBER?/『梶原一騎伝』(斎藤貴男)ほか
 今月の『キネ旬』で、偶然にも車谷長吉がこの『こころ』を「駄作」と切って捨てているのだが、そういう意見が出ても仕方がない面がある。何しろ、第一部の「先生と奥さん」、そして第三部の「私とお嬢さん」、その間十年以上の時が隔たっているのに、演じているのは同一人物、つまり先生は当時44歳の森雅之で、奥さんが24歳の新珠三千代であったのだ。
 トシとってからのシーンはともかく、原作の設定でいけば第3部の「私」はハタチ、お嬢さんは17歳である。……森雅之にツメエリの学生服ってのはいくらなんでも無理があった。
 でも、新珠三千代は違ったのですね。下宿に帰ってきた「私」と「K」(若き日の三橋達也!)を出迎えて駆け足で玄関に飛び出してきた時の笑顔……「可憐な女学生」というのはああいうのを言うのでしょう。……コギャルも少しは見習え。
 十年後のシーンでは一転して「先生」の苦悩の理由が分らず眉をひそめる奥さんの心痛を微妙な仕草で演じきっていました。いや、うまい人でしたよ。
 演技の幅ということでなら、岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』の奥さんも忘れられない。道を歩いている時にまっすぐ前を向いていながらその眼はどこか空ろでたゆたっているように見える。それに対して夫の江分利満氏(小林桂樹)、彼は現代人の空虚さにため息をついて、いかにも戦中派らしく苦虫をつぶしたような顔をしている。二人は実に対照的で、ああ、新珠さんは自分の現実以外は夫すら見ようとしない女を演じているのだな、と気づいて、舌を巻いた覚えがある。
 晩年は他の女優同様、舞台に活動の中心を移してテレビや映画に出なくなったのは寂しいことであった。

 唐沢さんが紹介している新珠さんの精神病院でのエピソードは実はデマで、出典はフランスの小話である。だから別に新珠さんでなくても、浅丘ルリ子でも三田佳子でもいいのだが、何となく新珠さんだとそれらしく聞こえてしまうのも人徳と言うものだろう。
 唐沢さんはかなり簡略化して書いているので、その全貌を(^^)。

 京都で映画の撮影中、右眼にものもらいが出来てしまった新珠三千代、ある人の紹介で、嵯峨野にある眼科医へ、撮影所の助監督を伴って出かけていった。
 ところが近くに眼科医と同姓の神経科があった。もちろん二人は迷わず神経科の方へ(^_^;)。
 院長が出て来て、新珠さん、美しいポーズですっと立ち、サンローランの絹のハンカチをちょっと眼のあたりに当てて挨拶、
 「新珠三千代でございます」
 すると院長先生、助監督に小声で聞いたことには、
 「このかたはいつから自分を新珠三千代だと思いこんでるんですか?」

 ちなみにこの話が紹介されてた本は、『シャボン玉ホリデー』や『8時だヨ!全員集合』の構成作家だった故・前川宏司の『猛爆ドジ全集』である。
 唐沢さんに教えてさしあげてもいいのだが、誰かがもう言ってそうだし、でしゃばるのもなんだからやめとこう。

 斎藤貴男『梶原一騎伝』読む。
 私を含め、現在30代後半から40代の人間で、梶原一騎作品に熱中したことのない人間は皆無だろう……って書き出しで始められないんだよね、これが。実は梶原作品で完読したことのあるもの、皆無なのである。
 『巨人の星』も『あしたのジョー』も『愛と誠』も、拾い読みしかしていない。というか子供のころはハッキリ嫌いだった。物心ついた頃からテレビアニメと言えば『鉄腕アトム』『鉄人28号』『8マン』『宇宙少年ソラン』『遊星少年パピイ』などなど、SFづけで宇宙や未来に夢をはせていた子供にとって、たかが地上の野球やボクシングごときのすったもんだが面白いはずがない。唯一好きで読んでいたのは『タイガーマスク』だったが、これは覆面プロレスラー同士の戦いを怪獣ものと同じような感覚で見ていたからである。「ちびっこハウスの子供たちのために」という偽善性は子供の眼にもイヤらしく見えていたのだ。
 「東宝チャンピオンまつり」では、『巨人の星』だけ退屈なのでロビーに出て終わるのを待っていたという生意気なガキぬだった私である。それらの作品が全て「カジワラ印」だと知った後は、飛雄馬やジョーについて熱っぽく語る連中を知性のないバカなのだと断ずるようにまでなってしまった。

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03月22日(木)
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