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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■少女しか愛せない/『NOVEL21 少女の空間』(小林泰三ほか)ほか
 しかし、そういうコテコテのSFファン、ミステリファンでも、この作品にはきっと納得するに違いない。今年の星雲賞短編部門最優秀作がこれでなかったら、私ゃ世のSFファンの目を疑うぞ(ああ、またなんて挑戦的なコトを……)。
 ストーリーは、一人の少女が世界を支配する独裁者の総統を倒す話なんだけど、構成と叙述の妙が絶品。全短編の中で、この作品だけが少女が大人になることの意味を問うている。
 多分、少女は少女であるということだけで「罪深き存在」なのであって、それを償うために大人になるのだ。世の少女たちがみなその業を背負って生きているのだとすれば、彼女たちの居場所はこの世のどこにもないということになる。
 少女である証を渡された少女もまた、新たにその業を背負ってしまったのだ。その事実は、あまりにも切なく、悲しい。

 青木和『死人魚』
 『インスマウスを覆う影』と『猫目小僧・妖怪水まねき』を足して2で割ったような作品。と言っても出来は悪くない。
 現代の怪異談として、うまく纏まっている。

 篠田真由美『セラフィーナ』
 本アンソロジー中、唯一の女性による「少女」の小説。
 「ロリコンブーム」以来、「少女」を語るのは常に男だった。しかし男がどんなに少女の「秘密」を解き明かそうとしても、そこに予め「少女」と言う括りがある以上は、男の描く少女像は常に幻想が実体に先行してしまう。
 「『少女』は一個の絶望である」と作者は言う。この一言で目からウロコが落ちた。「少女」とは文字通り「女」ですらないのである。異形であり、フリークスであり、男たちは明らかに少女を玩具化していながら、それを幻想のオブラートに包んで誤魔化していたのである。
 昔、大林宣彦の映画にハマリつつも何か胸がむかつくような居心地の悪さを感じていたが、その正体にようやく気がついた。『はるか、ノスタルジィ』で石田ひかりは「少女をなめんじゃないよ」と嘯くが自分自身を「少女」と語ることが何よりの欺瞞だった。
 少女であることの苦しみなど、大林宣彦にはカケラも理解できていなかったに相違ない。
 だから少女は常に心に武器を持つ。男に弄ばれ、嬲られ、苛まれて、何一つ抵抗できずに、ひたすら媚びるしかない立場でありながら、それでも男にはむかう武器を心に持っているのである。
 本作ではそれが実にイヤなかたちで具象化されているが(^_^;)、確かに少女はああいうモノも持っちゃいるなあ、と納得させられてしまうのであった。
 そうだよね、天使って、飛鳥了なんだよね。

 大塚英志『彼女の海岸線』
 さて、本家本元「ロリコンマンガ」のパイオニアの一人、白倉由美作品のノベライズ。と言っても私は原作の方は読んだことない。
 日本には昔から「マレビト」の伝説が伝わっている。つまり「異界」からの来訪者である。本作のヒロイン未生も、「キツネ少女」という設定からして、正しくそのマレビトにほかならない。
 彼らはみな、どこか(たいていは海の彼方か山の奥)からフラリと現れ、幸運を与えたあと、去っていく。『古事記』の少名彦名命や豊玉比売に始まり、民話の『鶴の恩返し』に至るまで、異界の住人たちは「どうしてそこまで」と言いたくなるほどに人間に尽くしてくれた末に去るのだ。
 いや、そもそも彼らはなぜ人間界に来なければならなかったのか。伝説はたいていその理由を明かさないが、実は明かす必要がないのだ。それは彼女たちが「少女」であること自体にあるからだ。
 男は一度は少女を抱かねば男にはなれないのだ。いみじくも本作で「ライナスの毛布」と譬えたごとく、「少女」とは男にとって「支配できる母親」に違いないのだから。


 二階堂黎人『アンドロイド殺し』
 このアンソロジー中、最低の作品。しかも他の作家とのレベルがあまりに違いすぎるほどの駄作。
 編集者もこの作品の扱いに困ったのではないか。巻頭にはとても置けないし、あまり前の方に置いたのでは、読者が脱力して、あとの作品を読む興味が失せてしまう。トリを取らせるなんてとんでもない。最後から二番目に置かれているのが、編集者の苦衷を思わせるではないか。

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03月13日(火)
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