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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)
みんなで公演のビデオ(編集前)を見るが、何か言いたげでズバッと言いきれない感じが強い。と言うか、どのように批評するのがベストなのか、その方法がまだ身についていないのだ。
「演技が下手」と言葉にするのは簡単なのだが、どこがどう下手なのか、どうすればよくなるのか、それを指摘しなければ、意味はない。
例えば、人形役の桜雅嬢、ラストで本を読む時は仕方がないとしても、人形でいる間はメガネを外させるべきだった。本人の目が見えようが見えなかろうが、「おすましリカちゃん」じゃあるまいし、メガネかけたアンティーク人形があるものか。それを指摘しないということは、メンバーが桜雅嬢を「見捨てている」のと同義である。本人がそれをイヤだと言っても、それを説得するのが周囲の役割である。……私ゃまさか本番までメガネかけるとは思いもしなかったのよ。
桜雅嬢だけをまな板に乗せてしまって申し訳ないが、役者に限らず、スタッフがそれぞれに、何をするのが自分の役目なのかを考えることは、明らかに今後の課題である。
私は簡単に「あいつ、言うこと聞かないなら切っちゃえ」みたいなことを言ってしまって、それはそれであまりよくないのだが、仲間のフリしてお互いに妙な遠慮をして、言いたいことも言わないのは芝居を作る上では逆効果だろう。
たしえば私が「『ロミオとジュリエット』のロミオをやるぞ!」と言ったら誰も反対しないのか。「鏡で自分の顔を見ろ」とハッキリ言わんでどうする。私の心を傷つけたくないと思ったとしても、せめて「体重を三ヶ月以内で30キロ落としたら配役することを考えてやってもいい」くらいのことは言わないといかんだろう。もちろんそれを私が実行できたとしても「やっぱアンタじゃミスキャストだからダメ」と言うだけの冷静な判断が必要になるのである。
今回の脚本、ウチのメンバーにアテ書きしたものでないために苦労をかけてしまったことは私の反省点である。しかしアテ書きしたらアテ書きしたで、「なぜ私がこんな役?」的な不満が出る可能性は常に有り得る。
ロデムさんのシノプシス、プロットのみでドラマはまだない。次回作に使うとしたら、ウチのキャストに合うように相当改変せねばならない。かと言って、「やりやすい」ように改変されると思ってもらっても困るのである。ドラマがあくまで虚構の物語である以上、そこに登場する人物はどんなにリアルに見えてもやはり「理想」を体現したキャラクターであることは紛れもない事実であるのだ。
簡単に演じられる役なんてない、ということを肝に命じてもらいたい。
ビデオを見たあと、塩浦嬢の似顔絵を描く。ホームページに今度メンバーの顔を載せるのだが、写真がイヤな人は似顔絵を載せることにしたのだそうな。
二点ほど描いたが、塩浦嬢、どうも今イチ気に入らない様子。そこで女房に、「おまえ描け」と命令する。……念のために言っておくが、女房に絵心はない。完璧にない。彼女のデッサン能力は幼稚園でストップしたままである。
案の定、出来あがったイラストを見て、一同大爆笑。ピカソやダリも裸足で逃げ出すほどの傑作である。そのうちホームページに載るだろうが、その出来映えを堪能していただきたい。
私も諸事情で顔写真は載せられないので、美形バージョンと毛虫バージョンを描いたら、みなが毛虫バージョンを選ぶ。くそ。
塩浦嬢は一足先に帰り、残りのメンツで夕食。今日は女房手製のカレーである。
女房には何度も注意しているのだが、具はたっぷり入れるくせに、カレー粉をやたらケチるので、毎回コクもなく薄いスープのようなカレーにしかならない。
鈴邑君、やはり「醤油貸して下さい」と言い出す。見るに見かねて私がカレー粉と隠し味にソース等を注ぎ足して、何とかカレーらしくなる。毎回こうだからなあ。少しは料理も上達して欲しいもんだが。
鈴邑夫妻、夕方には帰る。次会う時にふなちゃんはどれだけ大きくなっていることか。
CSで『ダロス』を見ているうちにウトウト。今日は早寝だ。
02月04日(日)
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