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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「フランケンシュタイン」


ネットフリックスが製作で、現在放送中ですが、期間限定の劇場公開なので、勇んで駆け付けました。いつも異形たちを、暖かな眼差しで愛するギレルモ・デル・トロ。そんな監督には、死から蘇る哀しき怪物は、うってつけの題材です。今回も余すところなく、監督の作家性がスクリーンに繰り広げられ、深く感銘を受けました。

座礁してしまった船の元へ、一人の男(オスカー・アイザック)が助けを求めます。船長(ラース・ミケルセン)は、男を救助しますが、その後すぐ、謎の怪物(ジェイコブ・エロルディ)が、男を追いかけてきます。何とか怪物を振り払いった船内で、男は自分の過去を語ります。男の名前は、ヴィクター・フランケンシュタイン。死者を蘇らせる手術に情熱をかけています。医学界では変人扱いの彼ですが、パトロンに名乗りを上げたハーランド(クリストフ・ヴァルツ)によって、順調に研究は進みます。死者より、様々なパーツを切り取って繋ぎ合わせた死体は、ついに生を得ます。しかしそれが、思いもよらぬ大波乱を巻き起こすのです。

フランケンシュタインの映画化と言えば、ボリス・カーロフの造形が有名ですが、それを打ち破ったのが、ケネス・ブラナー作の「フランケンシュタイン」。このデル・トロ版も、ブラナーと同じく、メアリー・シェリーの原作に寄せて描かれています。

パートは二つで、一つはヴィクター、もう一つは怪物の視点で描かれます。ヴィクターのファナティックな人格は、彼の成育に関係しており、父親(チャールズ・ダンス)に愛されなかった事から始まったと、当初はヴィクターの口から語られます。しかし、観客には、徐々にそうではないと解かる。

ラスト近くに弟のウィリアム(フェリックス・カマラ―)から、「小さい時から兄さんが怖くて、近寄りたくなかった」と語られます。父はヴィクターが勉強が出来ない時は、鞭で彼を打つ。手は医師として手術で必要なので、顔を打つ。「医師に顔は必要ではない」。しかし、ヴィクターも、思い通りにならない怪物に対して、鞭打つのです。父親と同じく、弱き者に対して、冷酷で非情です。

ヴィクターは父親に似ている。ヴィクターは母と同じ黒い髪、黒い瞳の自分だから、父は嫌っていると思っています。そうではなく、父は自分にそっくりな、傲慢で目的のためなら手段を選ばないヴィクターを、自分の恥部を見せられているようで、近親憎悪していたのです。弟を可愛がったのは、金髪で青い目であった事ではなく、大らかで素直なウィリアムに、妻を亡くした身の上を慰められたのでしょう。短絡的にしか物事を観られないヴィクターを物語っており、その事が彼を生涯苦しめる。

弟の婚約者であるエリザベス(ミア・ゴス)。当初は異形の者に惹かれる者同士、気心が知れると、不道徳にもエリザベスへの恋心を隠さないヴィクター。しかし、婚約者に誠実なエリザベスは、誘惑を跳ねのけます。そして徐々に判明する二人の違い。エリザベスの異形の者に対する心は、弱き者に対しての慈悲の心。対するヴィクターは、支配して自分の思うままにしたい。傲慢な心です。その心をエリザベスに見透かされ、拒否された事も、怪物への憎悪の一因になってしまう。

怪物パートは、何度も泣きました。継ぎ接ぎだらけの大男の自分を、人は怖がるのを知っている怪物。納屋に隠れて観る家族の暖かさに、自分もその中に入りたいと憧れます。人知れず「森の精霊」として、家族に善行を積む怪物に、家族は礼の品を差し出します。暖かく繊細な心の交流は、怪物の心を成長させていく。

折しも盲目の老人のみが留守番で家に独りの時、老人は心の目で怪物を見つけ、暖かい食事を与え、慈しみ、対等な「人間」として、怪物に接します。草木が太陽と水を得たように、言葉も知性も教養も吸収する怪物。ヴィクターの短気な接し方は、「子育て」ではなかったのですね。

しかし、自分が何者なのか、解らない。その葛藤に苦しむ怪物を観て、老人は、怪物に自分の軌跡を辿るよう、勧めます。しかし、これが怪物を一層苦しめる事になろうとは。


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10月26日(日)
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