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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「離愁」

映画好きなら、一度は観た記憶がある画像です。傑作の誉れ高い作品なので、映画の内容より、このラストシーンの結末は知っていました。でも私の認識は実際とは食い違い、今回諸手を挙げて、絶賛する訳には行かなくなりました。それ以外でも、かなり認識は異なっていました。監督はピエール・グラニエ=ドフェール。
第二次世界大戦のフランス。幼い娘と身重の妻のいるジュリアン(ジャン・ルイ・トランティニャン)は、戦火を逃れ、疎開しようと決意します。妻と娘は座席のある車両に乗れましたが、若く元気な彼は、家畜用の車両へと誘導されます。様々な男女が乗り込む中に、憂いを秘めたアンナ(ロミー・シュナイダー)もいました。緊張感が高まる車両の中、二人はお互い魅かれ合い、深い仲へとなります。
一番のびっくりは、ジュリアンが妻帯者だった事。何故か私は独身だと思っていました。この作品の公開時は、私は中学生でした。その後もすっぽり情報は抜け落ちていたんですね。
次のびっくりは、戦争を背景としているけれど、主な内容はメロドラマだと思っていました。そういう見方も出来るでしょうが、私の感想は、完全に反戦ドラマ。特に編集が秀逸で、戦争当時のモノクロの記録映像に、製作当時(1973年)、戦時中を再現したモノクロの映像が繋がれ、次に段々と鮮やかな色彩を放ちます。無理なく観客は戦時中に。場面展開で何度も同様の手法が使われ、感嘆しました。
街中が疎開する様子は、幾多の映画でも描かていますが、自分の年齢が行くほど、その大変さ、無念さに胸が痛み、今回も大層感情移入しました。お金がある人は、馬車や車を使い、着の身着のままの人も大勢おり、この辺描写はとても丁寧です。
すし詰めの貨物列車内は、老若男女の様々な人がいます。女性は少ないので、アンナと派手目の中年女性は、すぐに狙われる。当初は諍いが多かった男性陣ですが、時間が経つと、同じ目標を持つ者同士の連帯感が生まれ、酒盛りをしたり、トランプに興じたりと、この辺は辛さを強調する作品が多い中、どんな境遇でも人生は謳歌するべきと、如何にもフランス的だなと感じました。
それだけではなく、列車内なのに空襲で、あっと言う間に隣に居た人が死んでしまった事や、火事場泥棒のような真似をしたり、悲惨なシーンも盛沢山。特に私が印象に残ったのは、「戦争は第一次大戦だけで、もう起きないと思っていた」と言う、老人の言葉。このセリフは再三出てきて、現在の不穏な社会情勢と照らし合わせて、身が引き締まる。
そして身の上話の最中で、自分はドイツ人だが、国では迫害されているユダヤ人なので、国へは帰れないと語るアンナ。私が驚愕したのは、その事実をジュリアンが知らなかった事。情報は隠蔽されていたのでしょうか?それなら、ここは隠蔽の恐ろしさを表現しているのだと思います。
派手目女性と彼女を狙う男性との情交を目の当たりにし、ジュリアンを誘うアンナ。最中にずっと笑みを浮かべるアンナ。セックスで生を実感しているのだと私は思っていましたが、後の場面から、それだけじゃないみたい。最中に目があった、派手目女性のウィンクも、のちのちの展開で、ただのケセラセラには思えなくなる。
平和な日常が遮断され緊迫する中、ジュリアンがアンナと深い仲になったのは、取り敢えず良しとしよう。途中で列車は切り離され、妻子とは離れ離れになってしまった中、明日をも知れぬ運命に、何とか生きる縁が欲しいのが人間の性(さが)だと思います。このまま妻子と会えなければ、「ひまわり」と同様のケースだと思いました。アンナに「奥様を愛している?」と尋ねられ、「結婚しているから」とはぐらかすジュリアン。「愛している」とは言わない。彼も妻子は探さない男だと思いました。
一時間半、上記のような場面の連続で、話に違わぬ名作だと感じていました。しかし、目的地に到着して以降、私的に怒りと謎が充満。アンナを妻と偽り、公文書偽造の罪はまぁいいでしょう。愛人であり共に戦火を潜り抜けた二人。あそこで付き放す事は出来なかろう。
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08月11日(金)
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