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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「きのう何食べた?」

ドラマ版の大ファンです。原作も数話読んでいて、とにかくこの作品が大好きな私、初日に劇場に駆け付けました。サービスデーと相まって、劇場は超満員(ほぼ女性ばっか9。ドラマ版の世界観を踏襲して、中年のゲイカップルのユーモアとペーソス溢れる日常が、食を通じて生活感たっぷりに描かれています。あの場面この場面、滋味深い演出が、心に染み渡りました。監督は中江和仁。
弁護士のシロさん(西島秀俊)と美容師のケンジ(内野聖陽)は、中年のゲイカップル。念願だった京都旅行を、シロさんから持ち掛けられたケンジは有頂天で当日を迎えます。開けっ広げで、周囲にゲイだとカミングアウトしているケンジに対して、職業柄もあり、公的にはゲイで有る事は秘密のシロさん。それが誰憚る事なく、カップルとして行動するシロさんに、ケンジは訝しく思い、せっかくの旅行なのに気もそぞろ。これには訳があり、シロさんのケンジへの罪滅ぼしだったのです。
出だしから覚えのあるすれ違いのユーモア、ケンジの乙女心(そうなの〜女子より乙女なの〜)が炸裂するあれこれで、ドラマファンは一気に勘を取り戻したんじゃないかなぁ。
このドラマ版及びこの作品、私は基本的にホームドラマだと思います。ゲイを描くと、世の中に理解されない辛さや厳しさや、耽美的な美しさを強調する作品が多く、生活感に乏しいのです。ところがこの作品は、食や住まいや仕事、周囲の友人同僚や、ゲイの息子を持つ親の気持ちが、誠実に丁寧に描かれています。とにかく自然体。彼らの近所に住んでいるような気になり、気分は彼らのお友達。そのお陰で、二人の悲喜こもごもの感情に、こちらも自然と寄り添えるのです。
愛情表現も身体的にはハグぐらいで、品の良さが感じられます。これは元はドラマと言うのもありますが、過激な表現が無い分、二人に親近感が湧くのです。
シロさんの両親は、頭では息子がゲイで有る事は受け入れているのですが、心が追い付かない。その事に親子同士で申し訳なく思っている。そしてケンジに対しても。誰も悪くないのに、責めているのではないのに、この感情。大喧嘩したり絶縁を描くより、同性愛者の苦しみを感じます。
もう一つのゲイカップルの小日向さん(山本耕史)と航君(磯村勇斗)が、航君の家出に、「僕たちのような間柄は、一瞬で崩れてしまうんですよ!」と、航君の大好きなわさビーフをしこたま抱えながら言います(←笑って泣けるシーン)。うーん、きっと自分たちの特異性を自覚しているのでしょうね。でもこれは違うね。男女だって、うちのようにもうじき結婚生活39年のもんだって、崩れる時は一瞬ですよ。
若い時は長年暮らした夫婦は、語らずとも阿吽の呼吸で、空気のような、いてもいなくても気にならない存在になるのが理想と聞きましたが、それも嘘。それじゃ、片方が亡くならないと、存在の大切さが解らないよ。会話を欠かさず相談し合い、常にお互いを一番大切にしなければ、人生を共にしている意味がないです。
なので、頭では理解している母親の久栄はシロさんに言います。「あなたの家族を一番大切になさい」。意味は充分わかりますが、これも意義あり。そこ「家族」ではなく、「家庭」です。だって結婚しようが別所帯になろうが、親は親、子供は子供でしょう?私はお嫁さんも孫も入れて、今うちは7人家族だと思っています。優先すべきは「家庭」です。
家庭は安定だけではなく、成長も即すもの。ドラマ版でのシロさんは、善人なれど、体裁と冷徹が過ぎる人に感じました。それが素直な愛情表現を、惜しみなく自分に与えるケンジによって、少しずつシロさんに笑顔が増えてきます。ケンジには自分に合わせてくれることを望んでいたのが、段々ケンジの要望に応えよう、ケンジの笑顔が観たいシロさんになってきました。家庭生活の醍醐味ですね。伴侶としてケンジがシロさんを育てたのだと思います。なんら男女のカップルと変わりません。
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11月12日(金)
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