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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「20センチュリー・ウーマン」

この作品の監督マイク・ミルズの前作は、自身のお父さんを描いた「人生はビギナーズ」。そして今作はお母さんを描いているそうな。鑑賞後、「人生はビギナーズ」を未見な事を、ものすごく残念に思いました。多分鑑賞済みの方は、私以上にあちこちリンクするものを感じていたと思います。シングルマザーの憂鬱を共感を持って描き、私が日頃母親にとって、一番大切な事と感じている事に落としてくれて、とても嬉しかったです。素敵な作品。
1979年のアメリカ・サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、一人息子の15歳で反抗期のジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の養育に手を焼いています。そこで間貸ししている若い女性のアビー(グレタ・ガーヴィク)と、ジェイミーの幼馴染で、17歳のジュリー(エル・ファニング)に、子育てを手伝って欲しいと頼みます。そこに同じく間貸ししている独身男性ウィリアム(ビリー・クラダップ)も取り込んで、母子のひと夏のお話が始まります。
私から見ると、何ら問題のない息子なんですが(笑)。これも子育てが終わったから、感じる事ですかね。まず一人息子と言うのは、親に取ってかなりの強敵。子供が一人の方が楽で良いと思われがちですが、これは大きな間違いです。うちは息子が三人なんで、一人何かやらかしても、気持ちが分散しているので、怒鳴り散らして終わってしまう。仕事して、家事して、とにかく時間がないので、子供の動向には気を配るけど、自分の母としての憂鬱にまで、頭が回りません。深追いできず、これが結果的には良かった。
私もドロシアの立場なら、些細な事も引っかかり、穏やかではいられなかったでしょう。そして息子も、家庭に置いて、自分の内なる屈託を発散させる場所がない。上二人よりだいぶ年の離れた三男曰く、「兄ちゃんたち、よくお母さんの事”クソババア”と言ってたで」。いやいやアンタも言ってたはず(笑)。クソババアを分かち合えるガス抜き相手がいる事で、私は面と向かって言われた事は、ありません。
そして父親不在。娘なら昔通った道程と、安穏としていられるでしょうが、例え親子でも、男女の間には深くて暗い川がある。そこでウィリアムに教育係を頼もうとしたけど、息子と合わなさそうなので、断念。そして女性二人に頼む。正直ここは、今でも不可解。ウィリアムは人柄がよく、申し分ないとまで行きませんが、充分合格点はあげられるのに。思うに、二人の方が自分に共感して貰えるかも?と、ドロシアは自分と同じ迷える子羊を、無意識に選んでしまったように感じました。
アビーは子宮系統の病気で、将来子供が産めないかもしれず、自分の女性としてのアイデンティティが揺らぎ、意味づけしないとセックスも出来ない。ジュリーは姉のようにジェイミーを世話しているようで、実際はジェイミーに依存していて、セックスする事で依存相手を失いたくなく、一晩添い寝しても、何もさせてくれない。要するに二人とも、面倒臭い(笑)。いやいや、もちろん理解できるし、切ないですが、男性のウィリアムが、彼もコンプレックスを抱えているのに、平素は全然そぶりも見せずない様子に、やっぱり女性の方が面倒くさいのかなぁと、思った次第。これは監督の価値観かも?
そしてドロシア。身持ち固く生活している彼女が、同僚男性から誘われて、にっこり応じるも、相手は「そうか。君はレズビアンじゃないんだね?」と問われ、顔を強張らせます。確か「人生はビギナーズ」は、年の行った父親に、自分はゲイだと告白された息子のお話。とすると、ドロシアの夫婦生活も、もちろんそこが絡んでくる。妻としては充分過ぎる程傷つくお話で、まだ傷は癒えていないようです。私は女性として否定された日々が、母親としての自信のなさに繋がるように感じました。
思春期のジェイミーを軸にして、彼を何とか成長させようとした周囲が、その事で自分自身の屈託に直面し、それを乗り越えていくお話と受け取りました。やっぱり問題の無い子なのよ(笑)。
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06月14日(水)
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