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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ファインディング・ドリー」(吹き替え版)


懐かしい「ニモ」から13年、今回はニモの過保護のお父さんマーリンと、ニモ探しに奔走した、忘れん坊のドリーが主人公です。お子様向きに作ってあるものの、昨今言われる「障害は不幸ではない。個性である」と言う言葉の、具体的な意味を示唆していて、今回も大変気に入りました。前回は小学生だった三男と吹き替え版観て、私の中では、ドリー=室井滋なので、今回は躊躇なく吹き替え版をチョイスしました。監督はアンドリュー・スタントン。

大冒険から一年後のニモ、マーリン(声・木梨憲武)そしてドリー(室井滋)。楽しく三匹で暮らしています。ドリーは相変わらず忘れん坊で、周囲を困らせていますが、明るく元気な性格を、ニモとマーリンは愛しています。しかしドリーには気がかりが。それは離れ離れになった、大好きな両親にもう一度会いたい事。今回はドリーが恋しい両親を探しに、冒険の旅に出ます。

再三出てくる、ドリーの奇想天外なチャレンジ精神。そのポジティブさは、どこから来るのか?それは「忘れる」からです。人間(ここでは海洋生物)は、記憶を元に、出来るか出来ないか、アバウトに判別していくものです。でもドリーは忘れちゃう。だからいつも「頑張れば出来る」と思って、挑戦するんですね。あぁ、そうなのか!と、今回目から鱗でした。その対岸にあるのが、マーリンであり、今回ひょんなことから、ドリーの冒険の相棒となるタコのハンク(上川隆也)です。記憶が彼らを、臆病にしている。

忘れると言うのは、本当は「力」なんだと思います。忘却力かな?年が行くと、あれこれ忘れるけど、長い人生、喜びばかりじゃない。哀しい事辛い事、恥ずかしかった事、腹が立った事。ごまんとあります。そんなのいちいち覚えていちゃ、しんどくって生きていけないわ。だから、老いて忘れっぽくなると言うのは、神の与えし恩寵だと思っていましたが、ドリーのような力もあったんですね。

あれこれどんどん忘れていくのに、不思議と楽しかった事は、ドリーと同じく私も覚えているのです。それが子育て。大変だったことがいっぱいあったはずなのに、本当にみーんな忘れた。両親だってそう。私の親は、褒められた親じゃなく、本当に辛い事が多かったのです。なのに今になると、家族旅行や楽しい思い出も、辛い事と同じくいっぱいあったなと、思い出せるのです。記憶が邪魔をしている時は、楽しかった感情が封印されるのですね。

何故楽しい思い出は忘れないのか?そこに「愛」があったからじゃないかなぁ。愛し愛された記憶は、脳が忘れても、心に体に沁み渡っているからじゃないでしょうか?ドリーのポジティブさと愛すべき人柄は、両親の愛情いっぱいに育った事が基礎になっていると、今回描かれます。ドリーの両親のように真っ当じゃないけど、私の両親も、私を愛してくれていたのです。

やっかいな子を持つ親のお手本のように描かれていた、ドリーの両親。しかし人知れず、ドリーはこの先一人で生きていけるのだろうか?と、母は涙し、父が支える場面があります。ここで泣きました。子供の前では、心細さを隠し、気丈に振る舞っていたのです。私たち「普通」と言われる子供を持った親は、ここを忘れている。

大変だろうと想像はついても、心細いだろうとは、想像しない。障害児を持った親は親で、心細さを乗り越える手段として、学校や保護者たちには、強気に見える態度を示す。結果理解が得られない。悪循環ですね。学校や保護者は、障害児を持つ親の要求を渋々飲むのではなく、「頑張っていますが、悩んでいます。一緒に考えて下さい」と、言い易い雰囲気を作るのが、本当に受け入れる事だと思います。


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07月22日(金)
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