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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

本年度アカデミー賞作品・監督・脚本・撮影賞受賞作。オスカー授賞式の司会者、ニール・パトリック・ハリスのブリーフ一丁の姿は、この作品のパロディだったのね。長らくその作家性が、私には天敵のように思えた監督のイニャリトゥですが(そう言いつつ作品は全部観ている)ですが、前作の「BIUTIFUL」で、初めて苦手意識を払拭。今回も上から目線は皆無。だらしなくてセルフコントロールがまるで利かない、面倒臭い登場人物全てを、愛しく描いた作品。端正に夫婦の愛と苦悩を描いた「博士と彼女のセオリー」や、秀逸なミステリーにコクのある人間ドラマを織り込ませた「イミテーション・ゲーム」を蹴散らして、猥雑で下品で熱気溢れるこの作品のメッセージを汲み取り、オスカーに選んだハリウッドは、やっぱり捨てたもんじゃないです。監督はアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。
かつてスーパーヒーロー物の「バードマン」に主演し、一世を風靡したリーガン(マイケル・キートン)。しかしそのイメージを払拭できず、20年後の現在は鳴かず飛ばず。再起を期して、レイモンド・カーヴァー原作の舞台劇を脚本・演出・主演とこなして、ブロードウェイに進出しようとします。ところが稽古中に共演者が大けがをしてしまい、出演者は交替。代役の人気俳優マイク(エドワード・ノートン)に振り回され、リーガンの神経は粉々に。果たして舞台は無事に幕を開けられるのか?
冒頭宙に浮き、冥想しているリーガンにびっくり。「バードマン」演じるリーガンは、本物のミュータントだったの?と、途中まで半信半疑でしたが、時々現れるバードマンの幻視やら、幻聴に反応する様子など、どうも幻覚らしいとわかります。幻聴はどうもリーガンの本音らしく、彼のプライドをいたぶり、良からぬこともけしかけます。
ほとんどが、ワンシーンワンカットの長回しに見えます(ちょっと編集もあり)。そして登場人物全てのアップが多用され、これがすごい迫力。美しく映っている人はほとんどなく、生々しい喜怒哀楽の感情が露わになっています。ずっと緊張感が持続したのは、撮影のエマニュエル・ルベッキの技ありだと思いました。
SNSやネットに再生される数が、人気のバロメーターだと言うリーガンの娘サム(エマ・ストーン)やマイクですが、そうなんでしょうか?言い尽くされているネットの功罪や信憑性を、今更イニャリトゥが問う訳はないはずで、ここはそれに踊らされ、神経をすり減らし、自分を見失う側の悲哀を描いたのだと思います。
映画上りの俳優の舞台を憎悪する、演劇評論家の重鎮タビサ(リンゼイ・ダンカン)。彼女の批評の優劣で、舞台は続行か中止かが決まるほど。能面のような彼女のアップは、一切感情が表に出ない。それっておかしくない?自分の目で観て心で感じる事が、本物じゃないの?批評に一喜一憂するのはバカバカしい事だと、イニャリトゥが批評家に喧嘩売っているのかも?
今のハリウッドは安直なヒーロー物ばかりだ、舞台にこそ役者の本懐があるのさと描きながら、実はこの作品、映画への熱烈な愛を語った作品です。ヒーロー物を小ばかにしながら、その時得た名声が忘れられない。染み付いたイメージを払拭したいのに、リーガン=バードマンと認知する大衆を捨てきれない。取り直しがきかない狂想曲的な熱気に満ちた演劇の裏舞台の、ひりつく様な陶酔感を描けば描くほど、リーガンの本音は、映画が恋しいのです。何故なら彼の役者人生の全ては、映画にあるのだから。「バードマン」役者、上等じゃないですか。リーガンが自分の心を認めた瞬間を描く、荒唐無稽な場面には、思わず目頭が熱くなりました。
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04月12日(日)
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