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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「アメリカン・ハッスル」


本年度アカデミー賞10部門ノミネート作。主要部門も総なめです。コンゲームが繰り広げられまが、でもそこには痛快や爽快と言う感覚はなく、ユーモアの中に、孤独と哀愁が広がる内容で、私は好きな作品です。監督はデヴィット・O・ラッセル。

1978年のアメリカ。表向きはクリーニング店を営むアーヴィン(クリスチャン・ベイル)ですが、裏では詐欺師稼業。愛人兼仕事のパートナーのシドニー(エイミー・アダムス)と共に、詐欺に励んでいましたが、野心家のFBIリッチー(ブラッドリー・クーパー)の囮捜査により、あえなくお縄に。開放の条件として、捜査の協力を二人に要請するリッチー。リッチーが蒔いた餌に食いついたのは、意外な大物政治家カーマイン(ジェレミ−・レナー)。囮捜査で芋づる式に政治家を逮捕しようとしますが、そこに立ちはだかる人物が。何をしでかすかわからないアーヴィンの妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス)の存在でした。

まず特殊メイクですか?のクリベーの姿にびっくり。ぶよぶよのお腹にハゲ隠しの術。近頃めっきりお目にかからないデ・ニーロ・アプローチですが、彼は
忠実な後継者みたい。あの頭髪は、本家デ・ニーロが「アンタッチャブル」のでカポネを演じた時みたいに、毛抜きで抜いたんだろうか?(剃ったんちゃないよ)。

詐欺を働く二人には、家庭に恵まれなかった過去が挿入されます。平気で騙す人からお金を詐取しているように見える二人ですが、アーヴィンの「一つだけ人生で良い事をした。若いシングルマザー(ロザリン)と連れ子を家族にした事」の独白は、アーヴィンが詐欺をする心の穴埋めにしているのかと思いました。血の繋がらない息子を、溺愛ではなく慈しむ父親ぶりは、自分の良心の拠り所にしているのかと感じました。

シドニーも寄る辺ない身の上。ストリッパー上がりからOLとなり、ひとつひとつ堅実に階段を登っていた時に、アーヴィンに出会います。デューク・エリントンの曲が取り持つように見える二人ですが、男女の縁に理由なんかいらないのよ。目の前に運命の人がいた、それだけよ。こうして軽蔑されて当たり前の彼らを、身近に感じられる演出が上手い。

しかしまぁ、語り口はとにかく騒々しい。ブラッドリーとジェニファーは、「世界にひとつのプレイブック」を引きずるような役柄で、二人共常に軽躁状態。クリベーもエイミーも怒鳴るわ騒ぐわ、もう大変(笑)。しかしその喧騒の中に、彼らの孤独が透けて見えるのです。いい年の大人が皆、迷い子のよう。愛する人に身も心も抱いて欲しくて堪らない。そのままならない様子がとても切ないのです。トイレで絶叫するシドニーの滑稽でやるせない姿に、あなたも私も、自分を観ると思います。

上記四人は、全てオスカーノミニーで、演技合戦が観られるのも、この作品の長所です。特に感銘を受けたのは女性陣。いつも愛らしく健康的なエイミー・アダムスですが、今回露出の多い服装で、セクシー路線です。しかし泥水に浸かる詐欺師を演じようが、男を誘う腰つきでねっとり演じようが、彼女はやはり愛らしく賢いのです。それもキャラが突出する「偉大な大根」ではなく、演技派としてです。これは女優として稀有は長所じゃないでしょうか?彼女が女優になる前に、フーターズで働いていたと聞いた時、意外な気がしましたが、きっと自分を見失わず女優を目指していたのでしょう。新境地の役柄に挑戦した今回は、是非オスカー取って欲しいです。

オスカー女優ジェニファーにも、大いに笑わせてもらいました。ロザリンのキャラが凄すぎ。日本で言うとヤンママのDQNで、ビッチで躁鬱。バカ丸出しなのに豪快で、口論すると他罰的で自己弁護がとにかく上手く、海千山千のアーヴィンが必ず言い負かされます。先の読めない彼女のお蔭で、作品が撹乱され、大いに楽しませてもらいました。


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02月03日(月)
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