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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「凶悪」

冒頭「実話に基づいたフィクションです」と出ます。そのフィクションの部分が私と合わなかったのか、色々手を広げ過ぎて、やや散漫になっている気がしますが、大変力作だと思います。取りあえず必見作。監督は白石和彌。
雑誌記者の藤井(山田孝之)は、死刑囚の須藤(ピエール瀧)からの手紙により、彼の元、刑務所に面会に行きます。須藤は自分が犯した殺人は他の数件あり、その黒幕は「先生」と呼ばれる不動産ブローカー木村(リリー・フランキー)だと言うのです。太陽の下でのうのうと暮らしている木村を許せない、告発したいと言う須藤。編集長の反対を押切、須藤からの聞き取りで独自の調査を始めた藤井は、段々と核心に近づいて行きます。
最初に三つの殺人事件が描写されます。それがため須藤は捕まったのですが、核心は実はもっと他の方向にありました。前半は凶暴の限りを尽くしている風の須藤が描写されます。しかしすっかり改心し、悔い改めたと言う面会室の須藤の姿は、憑き物が落ちたように穏やかで、、こちらも半信半疑に。それは藤井も一緒だったはず。
木村と須藤は昵懇の仲で、二人は共謀して老人を殺害しては、土地を転がしたり保険金を騙し取るなど、繰り返していました。この様子が挿入されるのですが、いやはやこれが、まるで再現フィルムさながらの迫力。多くの配役に無名の人を使っているのが功を奏し、本当にあった事のようにリアリティがあり、常に嫌悪感を持ちつつ見続けてしまいます。それが単純に暴力もエンタメだよなと、面白がって観ていた「冷たい熱帯魚」とは、違うところでした(これはこれで私は大好き)。
老人たちは認知症やアルコール依存症だったりと、世間から置き去りにされた老人たちばかり。世の中に用無しなんだから、心を傷めなくてもいいんだよと、言わんばかりの木村と須藤。被害者の共通するのは、先祖代々の土地持ちである事です。中にはその事で法外な借金をこしらえたくせに、自分に甲斐性があるから借金出来たと錯覚している被害者もいる。その様子を憎々しげに語る木村の様子から、彼の生い立ちは貧乏で、苦労したんでしょう。それは須藤も一緒でしょう。老人の命を錬金術師のようにお金に変える彼らの、根源的な乗り越えられない過去なのかも。
しかしターゲットに、何も迷惑をかけていない老婦人(白川和子)まで手を伸ばす様子は、やはり「殺人鬼」なのだと痛感します。老人=老害。彼らはこの思考だと思っていたけど、そうじゃなくて、お金になれば誰だっていいんでしょう。てっとり早く殺せて、犯罪が発覚しづらいというメリットが一番で、老人を物色していたのだと思います。要するに、「死んでも良い年齢」だと、警察の操作も手抜きになるんだよと言う事です。改めて老人は弱者であると、これも痛感します。介護事業所が絡んでいるのも、怖かったです。
でも「嫌悪感を持ちつつ」私が見続けていたと言う事は、興味があったわけです。ざっくばらんに言うと野次馬根性です。藤井はかそれを妻(池脇千鶴)に見透かされ、「仕事に没頭していて、楽しかったでしょう?」と皮肉ではなく、直球で言われます。狼狽する藤井。彼は記者としての正義のため、夜討ち朝駆けで取材し、家庭もほっぱらかしにしていると、「自負」していたはずですから。
認知症の姑を抱えて、自宅にも戻らぬ夫に、妻の言い分はすごーくわかる。彼女には仕事であると同時に、夫の記者としての業が「娯楽」にも見えたのですね。でも、記者さんたちにそういう生臭い感情があるから、私たちはその記事に興味を惹かれ、読むのだと思います。家庭を犠牲にしてスクープをものにする彼らの正義感や誇りを、「悲哀」と言う視点で、見守っているのだと思うのですね。藤井の思いを踏みにじった須藤の証言を聞いても、「あなたはよくやった」と、いつもは厳しく冷静な編集長の労いの言葉に、それが集約されていたと思います。
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09月25日(水)
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