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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「愛、アムール」


















何を書こう、どう書こう?感想を書こうと思っただけで、涙が溢れるのです。単純に見れば、厳しい老老介護に疲弊した老夫婦の顛末に見えるでしょう。でも私は違うと思う。これは二人の老夫婦の、子供の頃から現在までの「かくも長く美しい」人生の全てを描いた、神々しいまでに崇高な作品だと思います。いつもいつも、悪意に満ちた描写の羅列で、多くの映画ファンに「この先をどう思う?」と、不敵に微笑んできたミヒャエル・ハネケから、こんなにストレートな愛に包まれた贈り物を貰えるとは。彼を追い掛けて、本当に良かったです。本年度アカデミー賞外国語映画賞作品。

パリの瀟洒なマンションに住むジョルジュ(ジャン・ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)夫妻。二人は共に音楽家同士で、一人娘のエヴァ(イザベル・ユペール)も音楽家となり、今は結婚してその息子も音楽家となり、離れて暮らしています。人生の終盤を悠々自適に楽しんでいた二人ですが、ある日アンヌの病気が発覚。成功率が高かったはずの手術は失敗。彼女の右半身は不自由になります。甲斐甲斐しく妻を介護するジョルジュ。穏やかに日々は過ぎて行きますが、やがてアンヌの病状は進行し、夫婦は追いつめられていきます。

アンヌの弟子の演奏会から帰宅する二人。広々とした空間の使い方、楽器や書物に囲まれたマンションは、しかし華美な雰囲気はなく、二人の教養や人となりを物語っています。「今日の君は綺麗だったよ」と夫。「あら、どうしたの?」と妻。顔は映らず声だけですが、穏やかな夫の表情、弾んだ妻の顔まで浮かびます。二人は80過ぎくらいのカップル。こういった会話は、例えフランス人でも、老いてなかなか出来るものではないでしょう。

娘のエヴァは父との会話の中、「子供の頃パパとママが営んでいる時の声を盗み聞きするのが好きだった。二人の絆を感じたから」と言います。意表を突かれました。語るエヴァは誇らしげです。二人は良き両親であるとともに、愛し合う夫婦だとも認識させていたのでしょう。

二人の中に常にあったのは、敬意と尊重だと思います。この気持ちは、娘に対しても同じです。浮気を繰り返している夫を持つ娘に、「愛しているのか?」と問う父。愛していると即答する娘。それだけです。気に入らぬ娘婿だと思います。しかし何も言わない父。ずっと三人は、こうやってお互いの気持ちを思いやり尊重してきたのでしょう。

半身が不随になり介護される立場になっても、夫婦の対等感は変わりません。感謝はすれど卑屈にならない妻。夫も淡々と応じます。夫婦の何気ない会話が、またこの夫婦を浮き彫りにします。「僕のイメージって?」「時々怖い時もあるけれど、優しいわ」「一杯奢るよ」。この時の少年のようにお茶目な夫の笑顔が素晴らしい。こうやって、いつもいつも会話して、親愛を深めていたのですね。

ある日妻は失禁してしまいます。硬く強ばった表情は、自分自身に対しての情けなさと怒りです。病人は自分で排泄することに拘るものです。それは人としての、最後まで残る羞恥心や尊厳だからでしょう。この頃から急速に妻の病は悪化。寝たきりとなり認知症の症状が出てきます。

変わり果てた母の姿に動揺する娘。泣いています。どうして黙っていたのかと父を詰る。「お前と同じくらいパパもママを愛している」と答える父。思いやりの嘘だと思いました。本心は「お前よりママを愛している」です。娘には仕事も家庭もあります。もし究極の選択を迫られたら、自分の家庭を取るべきだと、父は考えているのだと思いました。物言わぬ母も。何故なら人生を共に歩むのは、親ではなく夫婦だから。


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03月14日(木)
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