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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「チキンとプラム〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜」

梅田ガーデンシネマで予告編を観て、ずっと楽しみにしていました。フランスの作品ですが、舞台は原作者で監督でもあるマルジャン・サトラビの故国であるイランです。現在フランス在住の監督ですが、故国への思いは深いようで、一人の男性バイオリニストの一生を描いているようで、実は世相や因習に縛られる人々、とりわけ女性の苦難を描いていたと思います。情熱的なのにクール、ウィットに溢れながらシニカルな秀作。ヴァンサン・パロノーとの共同監督。
1958年のテヘラン。バイオリニストのナセル・アリ(マチュー・アマルリック)は、教師である妻のファランギース(マリア・ディ・メデロス)との間に、二人の子供がいます。バイオリンを弾けなくなった夫に代わり家計を支える妻は、そのストレスで癇癪を起こしてばかり。絶望を感じたナセル・アリは、死ぬ事にします。
オープニングが童話風で愛らしく、クラシックな異国の情緒感がたっぷり。ナセル・アリが死を決意し、亡くなるまでの8日間の出来事を回想で描く手法で、コミカルな作風が段々と現実世界とシンクロし、童話は大人の寓話へと変化して行きます。
ナセル・アリが自死の仕方をあれこれ想像する様子がユーモラス。笑わせながら、彼が唯我独尊の人であり、自分なりの高い美意識を持ち合わせていると感じさせます。ちょっと皮肉っぽいかな?それを裏付けるように、最初は働かぬ夫を詰り、キャンキャン吠えてばかりのように思えた妻は、実は夫を心から愛しており、仕事に家事育児と、一人で抱え込んでいる為のストレスだとわかります。芸術家の孤高のプライドのため、犠牲になった俗世間の人と言う図式に思えました。
ここで重要なのは、夫は母親からの勧めで結婚した妻を、愛せなかったと言う事です。実はナセル・アリには修行時代の若かりし頃、愛を誓ったイラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)がいましたが、彼女の父親が、先行きの判らぬバイオリニストに娘はやれぬと悲恋に終わった経緯があります。ナセルは彼女を終生愛していました。しかしこれはどうか?子供も出来たし、過去は過去で美しい思い出をとして残し、今の家庭を大切にするべきでは?
しかしダメな夫をアマルリックが憎めぬ男として好演するので、これだけの意味ではないなぁと感じます。ナセルが結婚したのは、公演で世界中を回って帰国した後で、40歳の時。彼が一番輝いていた時です。ママ(イザベラ・ロッセリーニ)が、強くファランギースを嫁にと勧めた理由は、彼女が教師として甲斐性があったからじゃないかな?それは、安定しない職業を選んだ息子の行く末を案じてだったかと思います。それはイランは芸術に対して評価が低いと言うのを表していたのかも?
これ以外にも、監督のサラトビは、アメリカ支配のイランを子供時代に体験し、パーレビ追放からイラン革命を経験し、やがてフランスに渡ったそうです。作中でも共産主義で投獄されたナセリの弟は、ママが全財産を叩いて出獄できた事、革命後アメリカに渡ったナセリの息子の能天気なバカっぷりには、監督のアメリカを観る視線に思えました。これらは、監督の体験から滲みでた思いなのでしょう。
愛らしくユーモラスに、影絵の如くの淡い味わいで描かれていると私が感じていた作品は、しかし、ラスト近くの老いたイラーヌの涙に不意打ちをくらい、号泣する羽目に。イラーヌは父親の決めた人と結婚、安定した人生を送っている様子が描かれていました。しかし結婚前の弾ける笑顔はなく、笑顔は見せても憂いのある表情ばかり。彼女の涙は、愛した人の思い出も忘れなければ生きていけない、そんな抑圧された人生を物語っています。
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11月18日(日)
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