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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ヘルプ〜心がつなぐストーリー」
もうわんわん泣いちゃった!人種差別を描いた傑作に、アラン・パーカーの「ミシシッピー・バーニング」があります。南部出身の叩き上げ刑事ジーン・ハックマンが、キャリア組の若い上司ウィレム・デフォーに、「差別の根源は何か知っているか?貧しい者が自分より下の者を作って安心したいんだ。あいつより俺はまだ幸せだとな。」と言う台詞を、私は忘れられません。この作品の舞台もミシシッピ。1960年代初頭の南部の悪しき因習深き土地で起こる出来事を観て、差別を無くすのは教育なのだとも痛感させました。本年度アカデミー賞助演女優賞受賞(オクタビア・スペンサー)。監督はテイト・テイラー。

四年間の大学生活から故郷のミシシッピに戻ったスキーター(エマ・ストーン)。ジャーナリストか作家になって自立しようと一生懸命な彼女に対し、町は昔のままで、年頃の女性たちや親の関心は、良い相手を見つけて結婚することだけです。未だ黒人差別の強い土地柄で、若手の婦人会のリーダーで、スキーターの友人であるヒリー(ブライス・ダラス・ハワード)は、衛生上からメイド専用にトイレを作る法案を、市議会に提出すると言い出します。メイドたちに育ててもらいながら、大人になると差別する。その事に強い疑問を持ったスキーターは、直にメイドたちにインタビューして本当の気持ちを聞きだし、本にしたいと思い立ちます。

差別を扱う作品は、とかく差別する側にアホかバカか憎々しい人が集まり、被差別者は心映えが美しく、忍耐強く頑張る人ばかりを描く図式が多いですが、この作品では、黒人たちの意識を改革する糸口を作ったのは、白人の上流階級の娘であるスキーターです。その他ジェシカ・チャスティン扮する気の良い主婦シーリアは黒人メイドを友人として扱うし、メイドたちも陰では白人雇い主の悪口は言いたい放題、やむなく罪を犯す人もいます。これがとても気に入りました。全ての差別者→悪、被差別者→善であるはずないもの。

ヒリーたちと同じく育ったはずのスキーターだけが、何故黒人差別に疑問をもったのか?根底には幼い頃から常に彼女を励まし、支えてくれたメイドのコンスタンティン(シシリー・タイスン)の存在があったからですが、それ以上にミシシッピから出て、よその土地の大学へ通った事だと思います。親元から離れ大学へ通う事で視野が広がり成長したのです。何という有意義な結果でしょう。スキーターの造形に、とても好感が持てたのも私的にポイント高し。

婦人会のリーダーのヒリーは、ガチガチの差別主義者。なのに慈善事業として、チャリティで得たお金はアフリカに贈るのだとか。メイドたちは、元を辿れば、アフリカから連れてこられた人の子孫。なのにこの偽善と欺瞞に何も感じていません。家事と子育てはメイド任せ、美しく着飾りパーティーに通い、暇つぶしにブリッジやお茶会。脳みそ腐りそうな生活なのに、気位ばかり高い。冒頭、この作品の主人公エイビリーン(ヴィオラ・デイビス)が、自分の雇い主エリザベスの事を、「奥様は鬱病だ。若くして子供を産む娘は皆こうなる。」と言う独白が入りますが、毎日こんな暮らしをしていては、そりゃ病気にもなりますよ。

強引なヒリーに意見出来ず、気が咎めながら付き合いするエルザベスの姿は、スキーターの母親とも重なります。本当は全ての人が差別を良しとはしていないのに、強い者には巻かれて暮らすのが安心なのです。これはPTAや職場、地域や学校で、女性なら誰でも経験済みなはず。差別とは、根っこは皆一緒なんだなぁ。

最初はスキーターの申し出を、自分の暮らしどころか、生命さえ危ないと断るエイビリーンでしたが、勇気を出して引き受けます。ミニーが続き、それ以降ある事をきっかけに、輪が広がります。彼らが奴隷と変わらぬ暮らしに、失っていた自尊心を取り戻す様子が壮観です。


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04月05日(木)
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