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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ジーン・ワルツ」

酷過ぎます。妊娠・出産と言う女性には永遠のテーマが主題で、顕微鏡受精のエキスパートの女医が主人公、原作は自身も医師の海堂尊とくれば、自分の仕事を考えれば、見逃すわけにはいきますまい。だがしかし・・・。いったい何が言いたかったの?こんな薄っぺらい生命賛歌、いまどき2時間ドラマでもやりません。監督は大谷健太郎。
帝華大学医学部産婦人科学教室の女医・曾根崎理恵(菅野美穂)は、顕微鏡受精のエキスパート。現在は大学で教鞭を取りながら、週一度、町の小さな産婦人科・マリアクリニックで診察しています。マリアクリニックは、理恵の同僚だった三枝久広(大森南朋)が、出産時に産婦を救えなかったことから逮捕。院長で久広の母茉莉亜(浅丘ルリ子)も末期の肺がんに侵され、廃院が決定的でした。院長に代わり、最後の四人の患者を診る理恵でしたが、彼女にも秘密がありました。
原作は多分描きこんでいるのでしょう。久広の件は、大野病院産科医逮捕事件」(←クリックすると、ウィキペディアの解説に飛びます)が、モデルになっていると思われます。原作ではきちんと描きこまれていると想像しますが、理恵によって久広をかばう訴えがあったのみで、あの描き方では医師の方だけが悪かったようにも見えます。世間を騒がせる妊婦たらい回しも、ちょろっと出てきますが、患者はモンスターペイシェント風ですが、引き受けられない病院が悪いみたい。
だいたいだね、出てくる医師たち、そんなに忙しそうじゃないのね。現在産科医療は全国的に壊滅寸前で、現場の医師や医療従事者さんたちの頑張りで、辛うじて成り立っている状態です。教授役の西村雅彦に、憎々しげに演じさせているけど、性格悪そうでしたが、あの演出では普通の大学教授です。背景がきちんと描けていないので、以前恋仲だった清川医師(田辺誠一)と理恵の軋轢も、単なる理恵の我がままに感じます。描かないのなら、大学病院は未だに「白い巨塔」ですと、テロップでも流して下さい。
マリアクリニックに通う最後の患者は多彩です。無脳症の胎児を抱える妊婦、何度も流産を繰り返し、やっと安定期を迎えた39歳の妊婦、恋人に去られ子供を堕胎したい二十歳の妊婦、そして55歳の代理母。各々描き方はまずまず。しかし!ここで重大な疑問が。医師があんなことするか?個人情報ダダ漏れじゃないの。特定の患者の疾患を、名指しでベラベラ他人に語る医者がどこにいる?私たち医療事務だって、厳しく言われていることです。いくら生命の大切さを教えたいがためでも、あれはないぜ。
後半信じられない事態が。吉本新喜劇くらいですよ、こんなシチュエーション。そして新喜劇なら、もっと面白く描けます(きっぱり)。何もリアル一辺倒がいいってもんではありません。しかしこれはコメディじゃないでしょ?あり得ない設定に持ち込み次々難問を、それも軽々と通り抜け、愛らしい赤ちゃんの笑顔を映し、お手手つないで生命の誕生の素晴らしさを謳う・・・。バカですか?
そんな判り切ったお安い感動「だけ」を呼んでどうする?何故産科医は激減したの?どんなに医療が進歩しても、お産が命懸けなのは今も昔もいっしょです。その事を現代人は忘れてしまって、病院でのお産=母子とも五体満足が当たり前と思われている状態です。私はそこが産科医が減ってしまった原因じゃないかと思っています。お産では突発的な事は付き物のはず。こういう難題が重なった時にこそ、生まれくる命と救えなかった命と、平等に描いて啓蒙すべきだったんじゃないですか?
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02月17日(木)
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