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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ココ・アヴァン・シャネル」


随分巷の評価が低いので、パスしようと思っていましたが、TAOさんのお勧めにより鑑賞。いやびっくり。繊細に大胆にココ・シャネルがしっかり描かれており、何でこんなに評価が低いのか謎です。監督はアンヌ・フォンテーヌ。

母は亡くなり父には捨てられ、孤児院で育ったエイドリアン(マリー・ジラン)とガブルエル(オドレイ・トトゥ)姉妹。成長して昼間はお針子をしながら、夜は場末のキャバレーで二人で歌手としての成功を夢見ながら歌っており、その持ち歌から、ガブリエルハ”ココ”という愛称を得ます。キャバレーに客としてバルザン(ブノア・ポールヴォールド)という将校が現れ、ココを贔屓にし仕事を斡旋してくるのですが、エイドリアンは男爵との結婚を夢見て、歌手を辞めてしまい、ココの歌手への夢も断たれます。意を決して、バルサンの元に身を寄せるココ。そこは底辺で生きていた彼女の知らない上流階級で、様々な出来事と出会いが、彼女を待っていました。

可愛げなく誇り高い野良猫のようなココが、とっても素敵。シャネルと言う人は、男性に好かれることだけが重要だった女性のファッションを、自分の自己表現としてのファッショに変えた人です。苦しく息も出来ないようなコルセット、埃もいっしょに引きずりそうなスカート丈、鳥や花やフリルで、これでもかと過剰にデコラティブする帽子や服から、女性たちを解放した人。今でこそブランドとしてのシャネルは、オートクチュールの大御所ですが、当時はとってもアヴァンギャルドな存在だったはず。その若き日の姿が、小生意気で勝気な毒舌家であるのは、女性が男性に従順であるべきが当たり前の当時、観ていてとても小気味よいです。

押しかけ愛人のようにバルザンの元に身を寄せるココですが、バルザンからは愛人どころか、娼婦より少しましな扱いです。バルザンにしたら、可哀想な野良猫を拾って、気まぐれに置いているだけなのでしょう。使用人たちからの侮蔑、パーティーでの晒し者のような屈辱的な扱いに傷つつきながらも、堪えるココ。リアリストでもある彼女は、金もなくコネもない自分が成功するきっかけを掴むには、バルザンの元に踏みとどまるしかないと知っていたのでしょう。

そのご褒美のように、バルザンたち上流階級の暮らしから、あらゆるものを吸収し、自分の中で消化していくココ。その中で生まれたのが、紳士物のスーツを基本にしたファッションであったのは、彼女の並はずれた才気と性格を表わしていて、なるほどと納得。体当たりでのし上がろうとしつつ、自我の目覚めから、挫折や苦悩するココの姿も描かれ、彼女を単なる高級娼婦のようには描いていません。

個性とウィットに富む会話から、段々とココがバルザン邸で必要な人となっていく時出会ったのが、実業家のイギリス人ボーイ(アレッサンドロ・ニヴォラ)。物珍しいものとしててではなく、初めてココの個性を認め、エレガントだと褒めるボーイ。そうすると待ち受けているのは、バルザンとの三角関係ですが、これがやっぱりおフランス式大人の関係で、とても魅力的に描かれています。

初めは愛玩物のように振り回していたココに、いつかしバルザンは虜にされていました。バルザン邸に出入りする女優が、「彼はいい人よ」と語ります。出自により有り余る金と暇、家柄と何でも持ちながら、傲慢でも尊大でもないバルザン。自分の世界では理解し難いココを、彼なりに一生懸命理解しようとし守ろうとする姿は、一種父性的でもあります。

対するボーイは一見エレガントな優男ながら、背景にココと似たものがあり、野心家でもあります。それがココと言う当時としては破格の個性を持った女性を、理解出来たことに繋がります。一見不実にも思える彼の言動ですが、自ら愛人の子だと語らせ、彼を理解しやすくしています。


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10月03日(土)
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