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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「あの日、欲望の大地で」

キム・ベイシンガーとシャーリーズ・セロンが母娘を演じる、メロドロマの秀作。終盤まで本当に丹念に演出していたのに、ラスト近くバタバタして、ヒロインの行動の動機だけを語ってしまったのが、非常に惜しいです。それで全体のインパクトが若干弱まりましたが、「これは私に向けられている」と感じるプロットもあり、私は好きな作品です。
高級レストランのマネージャーのシルヴィア(シャーリーズ・セロン)。仕事の出来る彼女ですが、私生活は既婚者のシェフと不倫したり、行きずりの相手と情事を重ねたり、情緒不安定気味です。ある日、彼女の故郷の南米近くのニューメキシコからやったきた男が、「マリアーナ、あなたの娘を連れてきた」と言います。シルヴィアの本当の名前はマリアーナ。遠い昔、母ジーナ(キム・ベイシンガー)は不倫の最中にトレーラーの火事で、相手とともに死去。ふとしたことから、相手の息子サンティアゴと愛し合うようになった昔を、シルヴィアは思い出します。
イニャリトゥ作品の脚本でお馴染の、ギジェルモ・アリアガの初監督作品。私は何気にこの人の脚本作は全て観ていますが、全部時空いじり系。脚本も兼ねたこの作品も、多分そうだろうと予想していましたが、やっぱりそうでした。普通の脚本は書けないのか?という疑念も湧きますが、これも芸風(作家性ともいう)と思えば、受け入れられないこともありません。
淫蕩な母の血が自分に流れているのを自覚しているシルヴィア。そのことに嫌悪も恐れも抱いています。しかし誰にでも身を任せる彼女の様子は快楽とは程遠く、自分を痛めつけているだけです。実際の自傷行為の様子も挿入、決してふしだらではなく、心の自傷行為に思えます。
母ジーナは、淫蕩だったから不倫したんでしょうか?シルヴィアは四人兄弟。末の妹はまだ小さく夫婦仲も睦まじい、一見良妻賢母に見えるジーナ。彼女は二年前乳がんで乳房を摘出。この夫婦はセックスレス、というより、夫はEDだと描かれています。ジーナの不倫の鍵は、セックスレスによる肉体の渇きからではなく、セックスレスの理由ではないかと思います。乳房を失った自分では、セックス出来なくなった夫。女としての自分への絶望感からではないでしょうか?私はジーナの気持ちが理解できるのです。何故なら私も、もう子宮がないから。
ジーナは、40代後半の設定でしょうか?私の子宮筋腫が発覚したのは、43才の時です。女の40代はとても微妙な年齢で、口では「もうおばさんだから」と言いつつ、どこかしら女としての煩悩が消えない年齢です。そんな時に突き付けられた、女性しか得ない病。否応なしに、自分の「女」と対峙しなければいけません。女性の象徴である乳房や子宮がなくなったら、自分はどうなるのか?これからゆっくりと坂を下るように卒業するはずだった女と言う性。これが他の臓器であったなら、これほどに摘出には悩まないはずです。
幸い私の場合、夫に変化はありませんでした。しかし私の場合は、術式によりお腹に傷も無く、外見は全く以前のままです。しかしジーナは、生きている限り、乳房のなくなった自分と対峙するのです。夫は家族としての「妻」と言う自分は愛せても、女としての自分は愛せないのだ。絶望と哀しみに襲われていた時に、自分を女として観てくれたのが、不倫相手のニックだったのでしょう。失った乳房にキスをし、全裸になっても女として認めてくれるニックに、ジーナが家庭を忘れて溺れてしまったのは、ささやかに彼女に残されていた女と言う性が、一気に燃え上がったからでしょう。私にはわかる気がします。
怒りに任せて、夫の葬儀にも出席しないニックの妻に対して、ジーナの夫はニックの家族への憎悪を募らせても、一度も妻への怒りは言葉にしません。たった一度見せる夫の涙は、妻の不倫の理由がわかっていたのでしょう。夫として不甲斐ない自分を責めているようで、私は胸が締め付けられました。女性疾患を抱えた女性の多くは、この夫婦の哀しみを怖れているのです。
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10月01日(木)
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