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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「グラン・トリノ」


これも5/1の映画の日に鑑賞。二月に観て大感激した「チェンジリング」より、こちらの方が出来は上らしいという情報に大いに期待しての鑑賞です。しかしこの作品で、「俳優・クリント・イーストウッド」は引退と聞いていたので、子供の頃からテレビの洋画劇場や、「ローハイド」の再放送で彼を見続けている私としては、寂しさも抱えながらの鑑賞でした。そのせいでラストは予想出来てしまいましたが、もう涙が出て止まらず。イーストウッドの集大成として、素晴らしい作品でした。

長年フォードの工員を勤め上げたウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)。偏屈で頑固な彼の元には、長年連れ添った妻亡きあと、息子たちや孫たちも寄り付きません。ただ一人若い神父(クリストファー・カーリー)だけが、「亡くなった奥様から、あなたに懺悔させてくれと頼まれた」と、一生懸命彼を訪ねます。そんなある日、チンピラの従兄にそそのかれされた隣家のベトナム人青年タオ(ビー・ヴァン)が、ウォルトの宝物であるグラン・トリノを盗もうとして、ウォルトに見つかり威嚇されます。謝罪する母や姉スー(アーニー・ハー)。罪滅ぼしとして、タオはウォルトの家で手伝いを申し出ます。頑なだったウォルトですが、これがきっかけで、タオの家族との交流が始まります。

嫌われ者の偏屈じいさんと聞いていたので、どんなもんかと思っていましたが、祖母の葬儀でふざけたお祈りをしたり、ピアスをしたヘソ出しルックで参列する孫に怒らない老人などいません。母の葬儀で涙一つこぼさない息子たちもそう。私には子供や孫、嫁の方が違和感バリバリで、この辺は普通の観客なら、ウォルトに同調しやすいように導入してあるのでしょう、上手いと思いました。

人種差別意識を持つ老人が、若い移民のベトナム人と触れ合う内に、段々と心が氷解して差別心がなくなっていく、そんな単純なストーリーではありません。アメリカは人種のるつぼです。チンピラの黒人を登場さすかと思えば、市民を守る警官も黒人。タオ一家のように善良に慎ましやかに暮らすベトナム人もいれば、従兄のように、ゴロツキになって行く者もあり。病院に行けば白人の主治医はもうおらず、中国系の、それも女性に交替しています。白人の描き方も、実の子さえ他人行儀なのに、お互いに悪態をつきながら、それを楽しんでいるかのような理髪の店主とのやり取り、腰ぬけのスーのBFなど様々に絡めています。一人の古き良きアメリカを体感した老人を通して、今のアメリカの現状を描いています。そしてこの人種だからこうだと、一言では決して言えないのだと、画面から静かに訴えかけてきます。

タオの一家は、祖父も父も亡くなり、男は優しく気弱なタオだけ。彼に一家の大黒柱としての心を教える人はいません。最初聡明で利発なスーを気に入ったウォルトの心には、私と同様「女は男と違って順応性があるのよ。だから女は大学に入り、男は刑務所に入る。」スーの語ったこの言葉は胸に突き刺さったでしょう。アメリカだけではなく、他国で生きると言うのは、どこの国でも同じなのだと思います。

ウォルトの手ほどきにより、大人の男としてたしなみを身につけたタオは、段々精悍に、そして自信も付けて行きます。何故ウォルトは他人のタオとは上手くいくのに、実の家族には、素直に自分が出せないのでしょうか?

ウォルトはフォードに長年勤めていたのに、息子はトヨタの営業職です。忸怩たる思いを抱く父。当然です。私の夫や息子が同じ立場なら、決してウォルトの息子のような真似はしないでしょう。しかし息子にも父を否定したい気持ちが、今の職場を選ばせたのでは?わかり易い愛情を息子に注いだ父ではなかったのでしょう。その原因は、朝鮮戦争にウォルトが出征していたことに起因しているのだと思います。誰にも言えないその思い。「父親たちの星条旗」のドクが、ウォルトに重なります。いつもいつも鬱積した思いを抱える夫を、亡き妻は本当に心配していたのでしょう、それが神父への頼みごとだったと思いました。神によって夫を救ってほしかったのでしょう。


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05月06日(水)
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