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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「パコと魔法の絵本」

先週の金曜日に、台風が来そうだというのに観ました(結局雨も降らず)。この作品の予告編を観て、相当引いておりましたが、監督が中島哲也ということで、いやいやながら観てきました。負ける喧嘩も行かねばならぬ男心というものが、ちょっぴり理解出来たような鑑賞前でしたが、観た後は滂沱の涙。やっぱり中島哲也は素晴らしい!
ヘンテコな洋館に住む青年(加瀬亮)の元へ、一冊の絵本が観たいと、堀米(阿部サダヲ)という老人がやってきます。堀米は亡くなった青年の大伯父に当たる大貫(役所浩司)と知り合いでした。堀米は尋ねられてもいないのに、過去の経緯を語るのでした。
ちょっと昔、変人ばかりが集まる病院に入院していた大貫は、偏屈で我がままな老人で、「お前が私を知ってるってだけで腹が立つ。気安く私の名を呼ぶな!」などど、暴言はき放題な困った患者でした。当然病院でも嫌われ者です。そんなとき、嬉しそうに「ガマ王子とザリガニ魔人」の絵本を読む、可愛いパコ(アヤカ・ウィルソン)と出会います。誤解からパコを殴った大貫は、翌日パコがそのことを覚えていないのに驚きます。パコは事故で記憶が一日しか保てないのです。後悔する大貫。思わず殴ってしまったパコの頬に手を当てると、「おじさん、昨日もパコの頬に触ったよね?」と、不思議そうに尋ねるパコ。以来悔い改めた大貫は、何とかパコの記憶に残りたいと願い、入院患者たちに、「ガマ王子とザリガニ魔人」の劇をやろうと持ちかけます
回想シーンが始まるまで、相当後悔しました。だってもぉ〜、洋館は意味無く不可思議なオブジェが散乱し、タレントの肖像画に混ざってムンクの「叫び」はあるわ、下では美しいとは言えないご婦人たちのフラダンスショーはやってるわ、ハッキリ言うと、極彩色のゴミだめみたいなわけ。しかし阿部サダオのお陰で何とか頑張ろうという気になります。極彩色のゴミだめにも負けない、唯我独尊の彼のハイテンションに救われるという、この不思議。
回想シーンになっても、画像のキャストは皆めっちゃめちゃ作り込んだ扮装と演技です。物欲の塊ナースの小池栄子なんか、絶対わかりません。大貫の扮装もリア王みたいだし、おかまの国村隼、瓶底メガネでもじゃもじゃ頭の医師・上川孝也、栄光から滑り落ちた元子役室町・妻夫木聡などなど、いつもはアクを感じない人まで、すんごいアク。でもこういう舞台的感覚の作品では、このくらい思いっきりやってくれた方が、断然作品にマッチするのですね。毒を持って毒を制すとゆーわけか。この辺から目と心が慣れてきたのか、段々と面白くなってきて、いっぱい笑います。
「クリスマス・キャロル」っぽい方向で大貫は改心していくわけなんですが、ここはあっさり改心します。そこで耳に残るのは大貫が語る「自分は独りで生きて来た」のセリフ。これ私の親父の口癖でもあるわけで。うちの親父は孤児同然でして、会社を始める時、私の母方の祖父母にお金を借りたそうです(自分じゃ言わない)。四人いた妻(私の母は三番目)が支えてくれたろう事も、商売やってて助けてくれたであろう人も、色々いたはずですが、そんなことは露ほども娘には語らず、如何に「自分は独りで生きてきたか?」と、年寄り特有の美化入り混じりで、己の人生を語る訳です。なので私は、大貫も孤児だったのではないかと想像しました。
私はこれを悪いと言っているのではありません。他に支えてくれた人を忘れてしまうほど、「親がいなかった」というのは、本当に辛いことなのだと思うのです。なので大貫を「おじさん」と呼ぶ浩一(加瀬亮 二役)はいますが、私は遠縁の子なのだと想像しました(うちの父親も一人っ子。いとこアリ)。なので記憶の事だけではなく、事故のため孤児の身の上になるパコに自分を重ね、彼女への思い入れが加速したのだと感じました。これが男の子なら、大貫は人生で初という涙は流さなかったのじゃないかなぁ。自分のように強くあれ、と思うでしょうし。
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09月22日(月)
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