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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ラスト、コーション 色、戒」

「人のセックスを笑うな」の予定でしたが、熱烈な絶賛評価の続出に、予定を変更して観てきました。でも不安もいっぱい。一昨年の春、手術直後にもかかわらず、かの「ブロークバック・マウンテン」を、ヘロヘロの状態で観に行って、まさかの玉砕だった私。家族に隠れて観に行ったのにと、落胆しきりだったのですが、あれも監督はアン・リー作品でした。こういう時外すと、すごーく寂しいのよね。なので期待値を大幅に下げての鑑賞だったのが功を奏しました。皆さんほどではないですが、私も良かったです。
1942年の日本統治下の中国・上海。女子大生のワン・チアチー(タン・ウェイ)は、心を寄せる抗日派の学生クァン(ワン・リー・ホン)に感化され、自分も運動に身を投じます。やがて日本政府に協力する特務機関の要人リー(トニー・レオン)に近づく機会を得た彼らは、貿易商として近づき、暗殺の機会を窺います。貿易相のマイ夫人として、イーに近づくことに成功したチアチーは、彼を誘惑しようとします。
主演のタン・ウェイが素晴らしい。鑑賞前の画像では、魅力の薄い子だと思っていましたが、初登場シーンから若々しい色気を発散していて、息を吞みます。回想シーンでの女学生時代は、野暮ったいけど初々しく愛らしい笑顔も清らかです。それが女スパイとしてイーに近づくうちに、段々と垢ぬけ、妖艶さを見せ始めます。随所に女スパイとしての任務と、イーへの愛に揺れ動く女心を、時には抑え込み、時には激情を募らせ、力の限り熱演しています。全裸の激しいセックスシーンに挑む心意気も立派。多くの観客の共感を呼んだことだと思います。
前半の学生たちの頭でっかちの抗日ぶりは、計画性もなく行きあたりばったりで、失笑を誘います。そういう風に描いてはいますが、それにしては都合よく速攻イーに近づき過ぎ。それといくら演劇をしていたという裏付けがあったにせよ、チアチーがあまりに上手く若き上流夫人を演じて、隙がなさ過ぎです。他のメンバーとは落差があり過ぎ、ここはもう少し尻尾が出るくらいの方が、幼稚ではあっても、彼らの国を思う一生懸命なさが浮かび上がった気がします。
前作の「ブローク・バック〜」でもそうでしたが、アン・リーの演出は脚本には疑問があっても、場面の状況を表したり、登場人物の心を繊細に表現するのが、とても上手です。要所要所に出てくる麻雀シーンもしかり。私は全然麻雀がわからないのですが、あれだけ牌を見せて手元を見せるということは、何か重要な意味があると思うのです。それがわからないのが、悔しくて。
その他の印象深い演出は、グラスやカップについた口紅を、チアチーが拭かなかったことです。どの国でもそうでしょうが、カップについた口紅を拭くのは、大人の女性としてのたしなみです。まだ抗日ごっこの時の若き日のチアチーと、すっかり女スパイとして仕込まれた彼女では、本当は別人のはずです。しかしこのマナー違反を繰り返し描くことは、彼女の幼さは純粋さにも通じている気がしました。
映画では直接描かれてはいませんでしたが、イー夫人(ジョアン・チェン)は、二人の関係に気付いていたと思います。というか、夫人が麻雀に呼ぶ女性は、彼女がさりげなく夫に紹介していたのかも知れません。下賤な女と深い仲になられるより、自分の目に適った相手とそうなってくれる方が、彼女のプライドが保たれたのでしょう。チェンの好演により、数々のセリフに、もう一つの意味を感じさせてくれました。この一見不可解な行動は、そう言う方法でしか、夫を慰められない妻の愛だと感じるし、緊張の解けない仕事に就き、妻にも素顔を見せられない、イーの孤独も際立出せていました。
一見冷静で酷薄そうなイーですが、自分の国を裏切るような今の立場に、割り切れるものでしょうか?誰にも理解されないから、誰にも素顔を見せないイー。憂いをたたえたトニー・レオンの瞳が、そう物語っています。その心は、抗日派にとっては、ただの動く駒のひとつとしてしか思われていないチアチーにも通じる孤独でしょう。
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02月09日(土)
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