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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「いつか読書する日」
全国的にヒットしているようで、大阪ではOSCAPでの上映が大きなOS劇場に小屋換え、終了予定も三週間伸び、上映回数も一回増えています。手術のドタキャンのためバタバタし、次の病院探しで見逃しも覚悟していましたが、無事昨日鑑賞。本当に観て良かった。せりふや情景に無駄が一切なく、登場人物全ての掘り下げも隅々まで完璧な2時間で、感激しました。監督は緒方明。今回ネタバレです。

生まれてこの方ずっとある地方都市に住み続ける大場美奈子(田中裕子)は、50歳の独身女性。早朝の牛乳配達とスーパーで働いて生計を立てています。彼女には高校時代から思い続けている大切な人がいます。やはり同じ町に住み続ける公務員の高梨槐多(岸辺一徳)です。二人は高校時代付き合っていましたが、美奈子の母と槐多の父が関係を持ち、自転車に二人乗りしていた時に事故死、以来付き合いを辞めてしまったのです。お互いを意識しながら、しかし言葉も交わさない二人に転機が訪れます。病の床で死を待つばかりの槐多の妻容子(仁科亜季子)が、美奈子に手紙を出したからです。

ファーストシーン、美奈子が早朝の段差のある階段の多い町並みを、軽やかに駆け抜けて配達するシーンが描かれ、ちょっと意外な気がしました。もっと落ち着いた、でも少し寂しい人を思い浮かべていたからです。地味ですが若々しく元気の良い美奈子を印象付けます。それもそのはず、後述で彼女は牛乳配達が生きがいだと言います。町中みんなに配達したいと。不器用な人ですが、自分で自覚する「愛情の足らない人」では決してないのです。

槐多は余命いくばくもない妻を、自宅で介護しています。これは妻の希望か夫の希望かわかりませんが、私は妻のような気がします。寡黙ですが、淡々と介護をこなす様子に疲れを見せない槐多は、ともすれば遠慮や気詰まりで神経を使ってしまう病人にとり、とても素敵な介護者に思いました。それなのに妻の独白は「結婚して26年と8ヶ月、私はこの人がどういう人なのか、まだよくわからない。」という、とてもとても哀しいセリフが、私の意表を突きました。私は今年の12月で結婚して丸23年、この十数年そんな思いは抱いたことがないからです。毎日牛乳配達をしているのが美奈子だと知ると、容子は一瞬にして夫の思いを知ります。妻だからこその直感。牛乳嫌いの夫が、捨てる前に一口だけ牛乳を飲むのは、美奈子への労いと想いだと悟る時、どんなに心寂しかったろうと思います。

槐多は本当に優しく思いやるのある人です。仕事から帰って家事をして疲れているはずなのに、眠る時は妻の手をそっと握ります。しかし妻は「妻が手を握ってもらうと嬉しいから」との思いで、夫が自分の手を握ってくれているのがわかるのです。あなたが私の手を握りたくて握って下さい、そう言えない辛さ。私は介護してもらっている、もうすぐ死ぬ、愛する夫を父親にしてやれなかった、そんな引け目が言えなくしてしまうのです。歩くこともままならないはずなのに、牛乳受けまで必死に手紙を入れに行く容子に私は号泣。愛は奪うものではなく、与えられるものでもなく、この人のために自分は何が出来るかという「与えるもの」だと言うことを、再認識しました。

職場の上司に「大場さん、まだバージン?」と不躾な問いに、普段は何事も毅然と言い返す美奈子が狼狽する様子に、それは本当だとわかります。その夜寝付けない彼女が深夜ラジオに自分の気持ちを投稿します。「私には大切な人がいます。この気持ちをわかって欲しいと思うときもあるのです。」を破り捨て、「誰にも知られてはいけないのです。」と書き直す美奈子。わかって欲しいと思う女性なら、50歳までバージンでいるわけがありません。

自分亡きあと、夫と暮らして欲しいと願う容子に、「ずるい」と答えて帰ってしまう美奈子。このずるいは、死んだ後いっしょになんかなれやしない、という風にも、死に後では自分は分が悪い、そうとも聞こえました。それが容子の葬式のあと、容子の訪問看護婦に、「何故来てくれなかったの。」と詰問された時の、「私はずるい」に繋がるように思いました。


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10月07日(金)
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