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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「マラソン」
私が自閉症が心の病ではなく、脳の発達障害による先天的な症状だというのを知ったのは、長男を産んだばかりの22歳の頃。当時少しでも子育てに有益な情報が欲しくて、毎月育児雑誌を購入していました。今は廃刊になった「ベビーエイジ」という雑誌で、毎月さまざまな障害児を取り上げ、障害児を育てる親御さんの苦労をお涙頂戴ではなく淡々と、しかしきめ細やかな配慮を感じさせる文章で綴った連載で、毎月私は真っ先に読んだものです。あれから21年以上経つのに、未だに自閉症は精神的な病と思う方が多いのには驚いてしまいます。障害者というと、美談仕立ての感動物と相場が決まっています。しかし確かに感動も美しさも感じますが、自閉症児をもつ家庭が抱える苦悩、世間の偏見を浮き彫りにしながら、普遍的な母親の葛藤、家族のありかたが描かれた、幅広い層に受け入れられやすい秀作でした。
自閉症の障害を持つ20歳の青年チョウォン(チョ・スンウ)。チョコパイとシマウマとジャージャー麺が好きな彼ですが、知能は5歳児程度しかありません。そんな彼に母キョンスク(キム・ミスク)は一心に愛情を注ぎます。チョウォンにマラソンの才能があると信じるオンマ(母)は、今は落ちぶれたかつての名選手チョンウク(イ・ギヨン)にコーチを頼みます。しかしこれが、今まで張り詰めていたオンマの心と体の緊張をの糸を、プツンと切ってしまうきっかけになるのです。
この作品には、ありったけの母親の叫びが詰まっています。私の人生の全ては子供、子供なりの人生の目標を見つけて欲しいと思って何が悪いの?、自分の体の心配は後回しだ、私はこんなに頑張っているのにどうしてみんなわかってくれないの?自分の我で子供を縛る私は最低の母親だ・・・。夫がおり愛する息子たちもいるのに、何故私はこんなに疲れて孤独なのだろう?
この子のために私の全てを賭けて育てねばと、呪縛のようになっているチョウォンのオンマ。自閉症の子を持つ母を描きならが、これは私だと思いました。いいえ、正確にいうと私がいなければこの子達はどうなるの?と思っていた若い頃の私です。この子たちが大人になるまで絶対生きるのだと誓っていたあの頃。今私にはチョウォンのように私の顔を書いてくれる子供はいませんが、代わりに頼ったり相談に乗ってくれる成長した息子たちがいます。しかしチョウォンはいくら年をとろうと永遠に5歳のまま。オンマが「私の願いは一日だけチョウォンより長く生きること」と語る姿に、私は涙が止まりません。
出演場面も少なく、仕事にかこつけて家庭によりつかない父は、一見息子の障害から逃げているように見えます。しかし自分と同じくオンマの愛情がチョウォンだけに注がれることに不満な次男に、「お父さんと暮さないか?」と尋ねる表情の寂しさはどうでしょう?父親として、夫としての役割を果たしたい彼は、しかしそのすべがわからないのだと思います。それほど血を分けた父や弟でも寄せ付けない気迫のようなものも、オンマから感じました。
ダウン症のお子さんを持つお母さんが、「障害児を持つと家族の絆が強くなると思うやろ?本当は逆で離婚したり家庭崩壊する方が多いねん。乗り越えた人だけが美談で語られては、そうでない人は辛い。」私はこの言葉を10年前に聞き、絶対忘れてはならない言葉だと胸に刻みました。
この作品は盲目的な母の愛情、頼りない父、反抗する弟、チョウォンを競馬やサウナに連れていくようないい加減なチョンウクまで、全ての人を肯定しています。決して裁かず、自分独りではないと誰かに頼ることに気づくまで暖かく見守っていてくれます。弱音をはいてもいいのだと。その優しさが本当に心に染みます。
チョ・スンウは渾身の演技、と感じさせないほど自然な演技で、思い切り笑わせ和ませ泣かせてくれます。自閉症というと、「レインマン」のダスティン・ホフマンを思い起こしますが、それこそ渾身という感じがしたホフマンの演技に目が行き、自閉症特有の状態はあまり描ききれていなかった気がします。それに比べると、この作品では日常私が目にする自閉症児の姿を、とても自然にスクリーンに現してくれていました。
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07月06日(水)
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