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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「火火」
「ひび」と読みます。女性陶芸家の陶芸に賭ける情熱と、息子の白血病とを絡ませて描いていると聞き、陶芸も全然わからないし全くノーマークだったのですが、公開後出るわ出るわ賞賛の声。これは見逃すと後悔するなぁと、「マニシスト」をブッチしてこちらにしました。もっとしっとり情緒豊かに描いているかと思っていましたが、厳しさと迫力、そしてユーモアと濃い情感に溢れた佳作でした。
冒頭、現代の賢一死亡を映し、その後約40年近く前の時代から描かれます。陶芸の町、滋賀県信楽。女性陶芸家の神山(こうやま)清子(田中裕子)は、まだ女性への偏見の残る世界で、昔からの穴窯による自然釉を成功させようとしています。名のある陶芸家の夫はそんな彼女を嫌って若い女性の弟子と出奔し、残された子供達と極貧の生活を送っています。来る日も来る日も思うような作品を作れない清子ですが、陶芸への情熱は一向にやみません。幾多の苦難ののち、やっと自分の思うような作品を作り上げた清子を、やがて町の窯元たちも受け入れるようになります。生活も徐々に安定し、姉は短大を卒業して自立し、弟賢一(窪塚俊介)は陶芸の道に進み始めた頃、賢一が白血病に倒れます。
テレビなど見ると陶芸を趣味にしている方が、「ろくろを回している時、無心になれる。」と言うような意味を仰いますので、私はもっと静かで優雅に作業をするのかと思いきや大変な重労働で、力の限り土をこね、ろくろを回し、近寄るのさえ危ないような高温の窯の温度を保つため、寝食も忘れすすだらけになるすさまじい姿を映します。女性が陶芸を一生の仕事に選ぶのは、それだけでも根性のいることなのだと感じ、こんなことさえ知らなかったのかと、自分の無知を恥じました。
清子はがさつで、子供にも暴言以上の罵詈雑言を浴びせながら、子供の悩みや辛さなどどこ吹く風、容赦なく厳しく育てます。夫は陶芸に一心不乱になる妻より、普通のくつろげる家庭が欲しかったのでしょう。だからと言ってしてはいけないことですが、清子を見る限り少し夫の気持ちもわかります。しかし「自然釉を復活させるのが、お母ちゃんの使命なんや。」と、力強く子供達に語る彼女に、子供の世話は手かせ足かせになったはず。それを手放さなかったのは、子供達には陶芸の方が大事と思われていたでしょうが、清子にとって創作と極貧の中、やはり子供達は生きがいだったのではないでしょうか?事実夫が子供引き取りたいと言って来た時、「お母ちゃんとおる。」と言い切った子供達に、彼女は安堵していました。賢一闘病時にも、「お父ちゃんにお金のこと頼んだら?」という姉に、「お母ちゃんがそんなことするわけないわな。」と二人で言い合う姉弟のようすなど、夫婦別れはしたが、父親は決して子供たちまで捨てたわけではないと描写しています。このお話は実話が元なので、細やかな元夫や子供達への配慮など、一層清子と言う人の潔さ、器の大きさを表していました。
賢一の骨髄移植のドナーを探すため、友人知人が街頭運動をしながら探しますが、資金面や忙しさから志半ばで頓挫するや、清子はこれは国に動いてもらうしかないと、骨髄バンクの設立に奔走します。これ以降壮絶な賢一の闘病生活の描写と、看病と陶芸の創作にと、女のか弱さなど微塵も見せない清子が描かれます。自分に都合の悪い話になると、子供達に「もう寝ぇ!」と怒鳴り、中途半端ないじいじした息子に「出て行け!」とまた怒鳴り、テレビの取材にさらし者になりたくないと尻込みする息子に、「みんな頑張ってくれてるのに、自分は何もせえへんのか?お前なんか今すぐもう死ね!」と怒鳴ります。子供に死期が迫っていると言うのに、皆目優しい言葉をかけるシーンがないのです。それなのに見るものには、切々と心に響く子供への思いが届きます。清子は母ではなく父なのです。これは父親の示す子供への愛なのだと感じました。誰もいないところで流す涙、本人の前では決して言わない「賢一はよう頑張った」の言葉など、一瞬戻る母の姿に、女手一つで子供を育てるため、母親を捨て厳父にならざるおえなかった清子の辛さ強さが偲ばれ、胸を打ちます。
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03月04日(金)
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