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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「スイミング・プール」
7月1日の映画の日は、心斎橋シネマ・ドゥまで
フランソワ・オゾンの「スイミング・プール」を
観てきました。同じオゾン監督、シャーロット・ランプリング
主演の「まぼろし」は、世間の高い評価にもかかわらず私は大玉砕。長年連れ添った夫の死が受け入れられずにいる妻の心がテーマの作品でしたので、結婚生活の長い私は、とても期待していたのですが、主人公は見かけこそ同年代の女性より美しかったですが、頭の中はてんで小娘で、私のように仕事に家事に3人の息子たちの子育て、家計のやりくりにと息つく間もなかったどすこい主婦にはとても頼りなく感じ、夫を亡くした喪失感も、なんだか頭がお花畑の感じで、とても共感できず姑とのバトル場面は、あんたなんかお義母さんに口答えするのは百年早いわと思う始末。

それでも何故またオゾンに挑戦したかと言うと、ひとえにランプリングに会いたかったからです。
ランプリングと言えば、忘れられないのがリリアーナ・カバーニ作の「愛の嵐」です。その他の作品でも退廃的でミステリアスな魅力を振りまき、ジクリーン・ビセットと並んで思春期の私の憧れの人でした。
今作では「まぼろし」では感じられなかった、昔とは違った今の彼女の魅力が満喫出来ました。

中年のスランプ気味のイギリスのミステリー女流作家サラは、馴染みの出版社社長ジョンから、自分のフランスにある別荘に行ってバカンスを楽しんでこないかと誘われます。この二人、どうも以前は男女の関係があったようで、サラはまだ未練があるようですが、ジョンの方は、段々売れなくなってきたかつての流行作家を持て余し気味で、ビジネスの相手と割り切っているようです。

別荘に着き、のどかで新鮮な風景に触発され、進まなかったサラの筆が俄然運び始めた頃、ジョンの娘ジュリーが現れ、彼女も滞在すると言うのです。聞いていなかったサラは気分を害し、ジョンに連絡を取ろうとするのですが、何故かいつも取れません。奔放なジュリーは、毎晩のごとく違う男を引っ張りこみ、乱痴気騒ぎを繰り返し、サラの静かできちんとした生活をかき乱します。
しかしジュリーの奔放さに付き合っているうち、作家的好奇心に駆られた彼女は、ジュリーを題材にして小説を書くようになります。

前半のサラは、中年でなはく頑固で偏屈な老女のようです。自分は「マダム」と呼ばれるに相応な成熟した大人の女と、気取ってポーズを取っても、砂漠に何日もいるような、パサパサに乾燥した味気ない女性として映るのに、後半ジュリーの一挙一動も見逃さじとなる頃には、たとえ食事の仕方がモグモグ・ガシガシ、まるで怒りを料理にぶちまけているような様子で、醜悪そのものでも、何故かクスクス笑ってしまう愛嬌があるのです。
内に秘めていたであろう彼女の欲望・願望が、ジュリーに触発されて露になるにしたがって、そんじょそこらの小娘では太刀打ち出来ない、エレガントで芳しいヨーロッパ女性の理知的で官能的なセクシーさを振りまきます。

ジュリーに扮するのはリュディヴィーヌ・サニエ。
グラビア以外の彼女を観たのは始めてでしたが、小柄な体がスクリーンを突き破ってしまいそうなほど魅力的。キュートでセクシーなのですが、少しだけ病んだような、退廃的な雰囲気がさすがはフランス娘、スパイスのように効いています。全編納得出来るシーンも意味ないシーンも、脱いで脱いで脱ぎまくっていますが、幼さの残る顔とアンバランスな豊満な肢体で、とても美しいです。とっかえひっかえ男をくわえこむふしだら娘なのですが、汚れた感じより、寂しさを男性の体で紛らわしているように観客には観えるのは、ひとえに彼女の愛らしさと品の良さでしょう。声がハスキーなのに甘く、私は昔懐かしのダニエル・ビダルの歌声を思い出しました。


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07月05日(月)
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