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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ビー・デビル」
そんなボンナムが娘を連れて逃げようと決意したのは、娘が父親に性的虐待に合っている事実を突き止めたから。ボンナムは婚前から村の男たちの慰み者になっていたので、娘は誰の子がわからず、それを承知で嫁に迎え入れたのだから恩がある、と言うのが伯母の言い分です。本当に理不尽な!
娘は性的虐待が何かもわからず、島を出るのを渋ります。しかし「島を出るとお母さんが泣かなくて済むのなら」と承諾。母親が叩かれる姿を見るのが一番辛いのだと言います。私はここで号泣。見つかったボンナムを、夫が髪を引っ張り回し、殴る蹴るの暴行をするのを止めるため、父親の手に噛みつく娘。私も母を殴る父親の手に噛みつきました。このシーンに自分を重ね、実母を重ね、号泣した韓国女性はたくさんいるはずです。挙句の果て、父親に突き飛ばされた娘は、頭を石にぶつけて亡くなってしまいます。日本女性の辛さが砂を噛む思いだとしたら、韓国女性の辛さは、口の中が傷だらけで、血の味を噛み締める思いではないでしょうか?
男尊女卑だけではなく、儒教には長幼の序と言うのもあり、年上の者のいう事が絶対。老人はことさら大切にされます。姑に口答えしようもんなら、犯罪ものです。それを絵に描いたような老女たち。自分も若き日はボンナムと同じ惨めさや辛さを味わったはずなのに。そして長年の習慣か、男に媚び諂う事だけは忘れません。老女の肌に沁みついた、惨めな人生の残骸なのに、彼女たちは気づきません。
「人質」のいなくなったボンナムが、島人を虐殺していくのは道理で、彼女が鎌を振りかざし、血が噴き出すたびに胸のすく思いがしました。本国の女性たちもそうだったでしょう。ハラハラするのではなく、絶対皆殺しにさせてあげたいと思いました。もうこの時点でホラーではないですね。18禁ですが、そういった意味では虐殺場面はオーソドックスで、斬新さはないです。泣きながら、「味噌でも塗っとけば治るわ!」と、息絶えた血だらけの夫の遺体に味噌をぶちまけるボンナムには、私も泣かされました。
これほど酷いのは、今の韓国でもないでしょう。確かに儒教批判はわかりますが、何故これほど大げさに描くのか?そこには本当に儒教の教えは、男であれば、年長者であれば、それだけで素晴らしいと教えているのか?と言う観客への問いではないでしょうか?最低の人間たちに、家畜のように扱われるボンナムが反撃することを正当化して描くのは、女たちよ、立ち上がれ!だけではないと思います。男尊女卑は、男性は女性から尊敬される人間であるべき、年長者は迷える若者を温かく見守り、人生の苦しみを楽へ導ける人であるべき、私は本当の儒教精神はこうであるのに、時の指導者たちは、自分たちに都合よく解釈して広げていったように思うのです。だって若い女性は常に少数派ですから。この作品を作った監督が若い男性だというのは、とても意義があることです。
ここでソウルという都会に住むへウォンの存在が重要になります。悪しき儒教精神から脱却した若い女性はどうなるか?ボンナムの手紙は封も切らないのに、自分が疲れると自然が癒してくれるわと、島へ帰郷。折角癒されに来たのに、ボンナムは煩わしい事を持ち込み、早く逃げなくっちゃと、友人の悲劇を目撃しても傍観者を決め込む。傲慢さが満ち満ちています。せっかく得た人としての権利や責任を、放棄しているのです。
へウォンをも殺そうとしたボンナムは、逆に彼女に殺されてしまいます。作品は傍観者である事も罪だと描いていますが、ボンナムに虐殺された人々と、へウォンの罪は意味が異なります。私は子供を失い人殺しをした女の末路としては、これで良かったと思いました。生き延びるよりボンナムも本望だったでしょう。
殺されるほどの罪ではなかったへウォン。自分で意味を掴もうとしなければ、彼女は傲慢な都会人のままです。ボンナムに報いるように、以前目撃したレイプ事件の目撃者として名乗り出るへウォン。現代の韓国女性としての気概と責任感に溢れており、この手の作品には珍しく後味が爽やかです。
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04月18日(月)
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