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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ハムネット」
半狂乱になるアグネス。息子の死に目に間に合わなかった夫を詰りまくる。当たり前です。森の精を自認していた、ある意味未熟なアグネスは、生身の母親・妻に成長していました。もちろん、この出来事も予見できなかった。妻に許しを乞う夫ですが、すぐにロンドンに戻ると言う。夫は夫で、自信のなかった自分から、劇作家として成功し、人々が待っているからと言う。これもまた、成長です。水辺に浮かぶ藻の様な夫婦だった二人。それぞれの形で成長したのに、夫婦としては噛み合わなくっていく皮肉。これも世の中では、良くある事です。

アグネスへのロンドン土産に、高価な装飾品を買うウィリアム。しかし、妻はちっとも喜ばない。たった一時間程、この妻を観ている私だって、アグネスがこんな物を喜ばないのは解る。なのに夫には解らず。なんて鈍感な。しかし夫が、必死で妻へ詫びているのは解かるのです。通俗的な風景が、とても心に沁みます。

ロンドンは息苦しいというアグネス。病弱な次女にも向かない。それでもロンドンへ行って、家族で暮らしたいと言う。生い立ちからくる熱望なのです。私は彼女が愛おしい。

ロンドンの劇場でのお芝居が圧巻です。上映作は「ハムレット」。息子の名前を使った茶番だと激昂するアグネスですが、ウィリアムが亡霊となったハムレットの父として登場すると、目の色が変わります。夫として不器用なウィリアムは、劇作家としてしか、自分の気持ちは妻に伝えられないのですね。ここには映画的仕掛があり、ハムレット役で登場するノア・ジューブは、ハムネットを演じるジャコビの実兄です。息子そっくりなノアを観て、息子が蘇ったかに思うアグネス。

ハムレットの死の場面にアグネスは何を思ったのか。瀕死のハムレットの手を握り締めるアグネス。二人の手に、大勢の観客が手を重ねます。大衆の感動が、プライベートなアグネスの感情とリンクしている。この時代の書物や演劇の、大衆への力強さを観る想いでした。ハムネットの死を、母として正面から受け止めたアグネス。煉獄で独り寒々と「ママ・・・」と泣いていたハムネットが、陽光降り注ぐ方向へ笑顔を見せたショットが入り、また涙の私。

バックリーは、オスカー貰って当然でしょう、の圧巻の演技でした。「ザ・ブライド!」を先に観たので、演技のふり幅の大きさに驚愕でした。メスカルも、繊細な演技で、シェイクスピアの苦悩を的確に表現。ワトソンも、姑と言うより、この時代を生きた女性の先達としての、生身の聡明さを感じさせる好演でした。意外というと失礼ですが、アルウィンがこの三者に一歩も引けを取らぬ好演。風変わりな姉を、ずっと弟として支え、親子や夫婦とは違う、姉弟の絆を感じました。

私が一番記憶にある台詞は、孫のスザンナから「お祖母ちゃんも子供を亡くしたの?」と尋ねられた祖母のメアリーの言葉です。一人は成長過程で亡くなり、二人(三人?)は、出産で亡くしていると言う。だから、アグネスを森へは行かしたくなかったのですね。「子供が大人になるまで育てられる、それを当たり前だと思ってはいけない」。生まれた息子三人、税金・年金の払える普通の社会人となり十数年、私は何と幸せな母親かと、この台詞で噛み締めました。

遠い昔を描く時、当時の再現力と共に、現代の息吹も吹き込まねば、観客の感動は呼ばないと思います。それらが見事に共存した作品。あの場面、この場面、今を重ねる事が出来る作品です。私的に傑作だと思います。脚色も担当したジャオ監督、お見事な作品でした。

04月19日(日)
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