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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「オールド・オーク」

社会派監督の名匠ケン・ローチの作品。2023年制作で、どうしてこんなに遅く公開かな?と思いましたが、日本での移民問題が顕著になってきた年数から思えば、今の公開がベストな気もします。何故差別するのか?差別する側の気持ちも丹念に描き、心を寄せている。その上で、それでも差別はいけない事だと、明確に理解させる、志の高い秀作です。ただ一点を除いては。その一点が、とても気になるので、その事も書きたいと思います。
イギリスの北東部。かつては炭鉱で栄えた町ですが、今は寂れて見る影もありません。その町で唯一のパブ「オールド・オーク」の店主のTJ(デイブ・ターナー)。難しい経営状態の中、
人々の憩いの場であるパブを、何とか運営しています。しかし、町がシリア難民を受け入れる事となり、人々の憩いであったパブが、諍いの場となります。そんな時TJは、難民の若い女性ヤラ(エブラ・マリ)と知り合います。
ここで描かれる難民を受け入れる側の困惑や怒りは、全ての受け入れる側の共通ではないかな。「金持ちは、自分たちの所には難民を受け入れない」「申し送りもなく、いきなり難民が来た」。寄付により、難民の子供には自転車が送られるのを観た男の子が、「僕も自転車が欲しい」。シングルマザーの元、家には食べ物が無く、空腹で倒れる子供がいるのに、ヤラの家では、TJをお茶とお菓子でもてなす。
受け入れる側は生きるのに必死な貧しさなのに、移民たちが国から手厚く保護されている。先に助けるのは、国民である自分達じゃないのか?怒りの矛盾の矛先が、本来なら行政に向けられるべきが、身近な難民に向かってしまう。両者の分断に至るまでが、丁寧に描かれていて、感銘しました。
その怒りを解くモチーフに、写真を使っているのが秀逸。かつての町の繁栄、炭鉱夫として誇りを持ち、会社を相手に闘争した様子。そこに、ヤラが撮った今の写真が、柔らかい光を帯びてリンクする。ヤラたちと親睦を深めるにつれ、TJは命をがけで彼らがイギリスに辿り着いた事、今もって闘争に身を置いたヤラの父親の生死が判らない事を知ります。私が一番心に刺さったのは、歴史ある建造物である寺院の元で、「私の(これからうまれるであろう)子供は、故郷の遺産を観る事は出来ない」です。戦禍で消失してしまったから。TJ自身も、かつて労働者運動に身を置いていました。彼の心に、再び火が灯る。
「オールド・オーク」で行われた食事会は、日本なら子供食堂的な場です。「これは慈善ではない。連帯だ」と宣言するTJ。貧しき者同士、援助するのではなく、共に支えて生きて行こう。なんて素晴らしい台詞かと、感動しました。
少しずつヤラたちへの理解者が増えていく中、心が動かない人も勿論いる。その辺りの変遷も、とてもリアルです。「この国(イギリス)は、世界で有数の富裕国だ。なのにどうして自分たちは、こんなに貧しいのか!」とのTJの叫びも、心に刺さる。共感しかありません。どこに怒りを向けるのか。政治です。何て解り易いのだろと、感服でした。
じゃあ何が疑問なのか?それはヤラたち難民側が、良き人ばかりであった事です。今の移民問題は、移民側には何も問題はないのか?そこがすっぽり抜け落ちている。私は時々仕事で、警察の人と話す機会があるのですが、毎日外国人の苦情がいっぱいだそう。「韓国の人はねー、ほとんどないんですよ。あるのはA国人とB国人ですね」。現在在留外国人数の第三位の韓国人が、何故苦情が少ないのか?ほとんどが日本生まれの2世から4世、又は私のように日本に帰化している。日本に溶け込んでいるからです。
軋轢のほとんどは、文化の違いだと思います。新聞で読みましたが、技能実習生で来日したネパール男性が、日本で永住権を取り、大手コンビニの正社員に昇格したのだとか。現在は、コンビニで働く外国人の指導が、主な仕事だとか。私はこれを行政にして欲しい。尊重されるべきは、自国の文化が前提です。その上で、他国の文化を、受け入れる側の人に伝えるべきです。そう言えば、ヤラたちは、何の仕事をしていたのか?片方、もしくは両方が「可哀想な人」では、決して連帯は生まれないと思います。
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05月06日(水)
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