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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「どうすればよかったか?」
姉にも質問しています。親に不満はなかったのかとの問いに、答えない姉。姉は4浪して医学部に入学。親の願いだったと、想像に難くない。でも何も言わない姉。ここで私はお互いを思い合う、親子の姿を痛烈に感じました。親は自分たちのせいで娘は発病したと後悔し、娘は小康を得て、親の人生を奪ってきたと申し訳なく思っていたのではないか?

そして父から、娘との生活は不幸ではなく、それなりに充実した毎日だったとの言葉が、引き出されると、思わず涙が出ました。前半の大変な介護を、当たり前のようにこなしてきた両親の姿が、思い起こされます。両親が娘を守りたかったとの気持ちに、嘘偽りはなかったと思います。

映画友達で、親しくさせて頂いている牧師さんから、受援力という言葉を教えて貰いました。助けてと言える力です。精神科勤務時代、仲の良かった子供くらいの年齢のPSW(精神保健福祉士)から、「障害や病を得た人は、社会資源を使って下さい。そうすれは、必ず救われます」と教えて貰いました。福祉、医療、行政に繋ぐという事です。繋ぐにはまず、「助けて」と言わなければ。

この一家で、その役割を担ったのは、誰あろう監督であったと思います。姉を福祉と医療に繋いだのは、親ではなく弟だと思う。

冒頭、「この作品は、姉が何故統合失調症になったかや、統合失調症に理解を深めて貰う作品ではない」と、出ます。どうすればよかったか?を一緒に考える作品です。

苛烈な姉の様子を映す中、何度も思ったのが、誰かに助けを求める事です。それは勇気の必要な事だと、この親子を見て、改めて思いました。堅い思いで結ばれた姉と両親に、監督は疎外感を感じた事は、数知れずあったはずです。その思いを、一家を撮り続ける事で払拭してきたのでしょう。監督は立派だと思います。自分の親を毒親と呼ばせたくない、可哀想な精神病患者として、姉の一生は終わったのではないと、その思いが詰まった作品だったと思います。

監督の意図とは外れますが、この作品を観て、病に対する偏見が、少しでも減ると良いなと、本当に思います。精神疾患は、きちんと受診して服薬すれば、決して他害のある病気ではないと、後半の雅子さんを見て感じて下されば、嬉しいです。

02月02日(日)
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