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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「哀れなるものたち」
ある事で一文無しになり、パリに辿り着く二人。お金を稼がなきゃ!という事で、想像通りの仕事に就くベラ。まぁ何と逞しい。働くに当たって、このサービス業の既成概念をぶち壊す正論を述べるも、グロテスクなマダム(キャスリン・ハンター)の、叩き上げのどすこい商人論で諭され納得するベラ。この仕事の是非は置いておくとして、卑小なダンカンと比べて、生きる事に対してきちんと向かい合い、誠実だと思いました。

このマダムや、船の上で出会った老婦人(ハンナ・シグラ)とか、とても素敵でね。ベラの若さや未熟さを愛でながら、立場の違いはあれど、見守っています。老いていく同性として、私も若い女性たちの味方でありたいと、切に思いました。

一方また若い女性フェリシティに、ベラと同じ手術を施すゴッドとマックス。快活で三段跳びで成長していったベラに対して、成長ゆっくりさんのフェリシティ。当たり前だけど同じ手術をしても、同じ成長過程ではないのですね。これは誰しもが固有の個性を持っている事を、特異なケースで表しているのかと思いました。

終盤になり、ベラのクリトリスを切除しようとする件が出てきてびっくり。セネガルの「母たちの村」は、女子割礼=クリトリス切除を描いていました。ラジオを取り上げられた時、「私たちを閉じ込める気さ」の台詞は、今も強く脳裏に残っています。セックスから快感を奪い、暴力や恐怖で、女性たちを外の世界から閉じ込める=知恵をつけさせない、のは、西洋でも同じだった様です。そのくせ子宮は残すのですから、男性には女性は産む性ではなく、産む機械だったのでしょう。

しかし、全ての男性がそうだとは言っていません。研究対象のベラに非情にはなれず、父性愛を感じ慈しむ心を初めて持ったゴッド。数奇な人生を歩むベラの、彼女固有の自由と幸福を尊重しようとするマックス。ベラの成長は、彼らの成長でもあります。これこそ対等な「パートナー」ではないですかね?

エマは私は元々好きなんですが(「バトル・オブ・セクシーズ」が一番好き!)今回は大奮闘で、ぎこちなく人工的な様子から、どんどん獰猛にがつがつ成長していくベラを演じて出色です。思考はどんどん深まるのに、感情が追い付かないベラの特性も、すごく上手く演じていました。オスカー取って欲しい!

ラファロが助演男優賞にノミネートだそうですが、上手かったとは思いますが、いつもの彼くらいでした。誠実な役柄が多い彼にしたら、異色の役柄だから?候補になるのは、絶対デフォーだと思います!感情の起伏を表に出さず、でもベラと同じくらい数奇な人生を歩んでいた過去を、きちんと忍ばせる演技は、なかなか出来るものではありません。どうしてラファロなんだろうなぁ。

ユセフ・ラミーは初めて認識しました。なんか小動物系で可愛いなぁと感じた最初から一貫して、誠実に生真面目にベラに向かい合う姿が、とても好感が持てました。20年くらい前なら、ラファロの役柄だったかな?

大きく通常の枠からはみ出しても、決して屈しなかったベラ。自分の存在意義の確認や、過去にも目を背けません。辛さにも向かい、努力する。それが「希望」なんでしょう。どんな場所でも年齢でも、希望を見失ってはいけない。今更ながら確認しました。それが己を成長させ、冒頭は死体を刺してガハガハ喜んでいた野蛮なベラが、憎い相手の命まで助けるんですから。あのお仕置きも、成長の賜物って事で(笑)。スケールアップした愛しのランティモス、これからも観続けます!

02月05日(月)
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