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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ウーマン・トーキング 私たちの選択」
レイプされた痛みは、人それぞれに違う。予兆を感じさせ、焙り出させる演出が秀逸です。分断を呼びそうな時、「私は耐えるしか教えて貰わなかった!」と叫ぶマリチェに、母は「私が悪かった」と、心からの詫びを娘に伝えます。氷が溶けるように、心がほぐれるマリチェ。私はこのシーンが一番好きです。この話し合いなくば、母は一生後悔したままだったかも知れません。
レイプ以外に、夫に暴力を振るわれ、半殺しのようになった姿も挿入されます。スカーフェイスの深い頬の傷も同様なのでしょう。これが頑なに現状維持を主張した理由だと思う。対男性で一番恐ろしいのは、レイプも含み、暴力だと伝えているのだと思いました。
私たちは男性になりたいのでもなく、男性を越したいのでもない。ただ人間として対等に扱われたいのです。感情を持ち思考する人間として。レイプされ妊娠したお腹の子を、愛しい我が子だと言うオーナ。心優しく誠実なオーガスト。女性としての善き特性は保ち続けるのには、善き男性の協力は不可欠だと表している。そして最後に見せるサロメの猛々しい母性は、それが高じて悪しき男性のようになってはならない、と言う警鐘の気がします。
「離れる事は、逃げる事と同じではない」。離れる=卑怯ではありません。彼女たちの選択は、人として聡明なものでした。
オスカーの授賞式は観ていました。サラの悦び様な大変なもので、とても微笑ましかったです。観て納得。娯楽作が席巻するオスカーで、この作品が賞を取ったのは、とても意義があると思います。願わくば、コンプラを意識したものではなく、今後の変貌を期しての受賞であって欲しいと、心より願います。
06月13日(火)
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