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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「愛のまなざしを」
私は薫ほど優秀でもなく、至って普通の女性で短大を出た年に結婚。夫婦で家庭を育むのだと思っていたのは私だけで、夫はとにかく訳の分からぬ事を言い募り、マウントを取るのに必死。それでも年も離れているし、当時の感覚もあって、夫唱婦随で歩もうと思っていました。しかしその夫唱婦随は、夫婦で天と地の差があり、夫の夫唱婦随は、暴言や侮辱されても、妻は黙って従うものと言う代物。当然盛大に喧嘩もしたし、言い尽くせぬほどの忍従の日々でした。(今は違うよ、念のため。家では私が一番偉いです)。
薫の幻影が「あなたは私の幸せを望んだか?」と言う言葉に、自分がぴったり重なり、ため息と共に思わず涙が出ました。監督は滝沢は仲村トオルを宛書きしたそうです。滝沢も夫も間違いなく善良な人間です。その善良な男が、愛する女性を妻にした途端、自分の所有物として、自分の思いのままに生きさそうとする。妻の人生なのに、自分の気持ちを優先させるのです。全て無自覚に。
そして、それが妻への愛だと思い込んでいる。その罪の深さを、仲村トオルのような、実直で誠実を絵に描いたような男性に演じて貰う事に、深い意味があったと思いました。
綾子の前にはたくさん獲物=男が通り過ぎたでしょう。今度は滝沢がネギを背負ってやってきた。きっちり捕まった滝沢ですが、彼女に出会わなければ、薫の幻影は、自分の亡き妻への愛情だと錯覚したまま、綺麗ごとで自分を美化して生きたかも知れません。そういう意味では、綾子は菩薩だったのかも?しかしこの綾子がなぁ。
すごく魅力に乏しいのです。杉野希妃は、綾子が全然愛せなくて、演じるのに苦慮したそうですが、「さもありなん。嘘八百で周囲を振り回し、これでもかの愛情を自分に示さないと、自殺すると喚く。いやもう、人格障害の嫌なところだけがてんこ盛りに描かれています。生まれながらの虚言癖である、いやいやそうなったのには理由がある。そのどちらでも哀しい綾子には違いないのに、綾子の嘘を暴くだけ暴いて、何故そうなったのかは、全く描いていません。私は初めて杉野希妃を見るので楽しみにしていましたが、これでは彼女が気の毒でした。私は精神科に勤めていたので、綾子は人格障害なんだと理解しましたが、普通はなんだ、この女!でお仕舞なんじゃないかな。
ラスト、「真実」を告げ憎悪していた滝沢を救おうと、茂が「義兄さん!」と滝沢を呼ぶ温かさに、救われる気持ちがしました。綾子のような人は、あれしか魂は救われないし、憑き物が落ちたような滝沢は、二度と薫の幻影は観ないと思います。
個人的には面白く観ましたが、一般的にはどうですかね?お時間があれば、お確かめ下さい。
11月23日(火)
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