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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「小さいおうち」
現代の場面では、楽しかった昔を綴るタキに、そんなはずはない、あの暗い時代にと決め付ける健史との対比が新鮮でした。昭和の初頭、あの小さないえでの暮らしは、タキにとって確実に美しい記憶なのです。美化するなと否定する健史ですが、現代に生きる者には暗黒だと決め付ける時代にだって、美も和みも楽しみもあったと言う事です。これはいつの時代にも通じる事ですね。過去を尊重し学ぶのは、大切な事です。
色んな思いを抱きながら観ていました。そして映画の肝として宣伝されていたタキの秘密。しかしこれもなぁ。小さ過ぎる。大好きだったおうちですよね?奥様を大層慕っていたのですよね?あの家庭を守るためにした事だと、私は取りました。それはのち、時子夫妻が亡くなった時の姿で立証されているじゃないですか。これが終生の悔恨で、タキが独身を貫いた理由なら腑に落ちません。
と思っていたら、親愛なる映画友達から、貴重な情報を頂きました。原作ではタキの時子への同性愛的なニュアンスが感じられるそう。ふ〜ん、なら私の疑問も氷解します。でもどうして描かなかったのだろう?あの描き方は「憧れ」の域です。男装の麗人めいた中嶋朋子で想像しろなら、乱暴だと思うけど。板倉が最後タキを抱きしめたのも、「小さないえ」に時子と並んだタキを描いたのも、中途半端な描写だと思っていましたが、これで納得。板倉はタキの気持ちを知っていたのでしょう。女中の分を弁え、静かに自分たちを見守ってくれた同じ女性を愛したタキに対しての、感謝と贖罪なのでしょう。でも原作読まなきゃ理解出来ないってのは、如何なものか。
情感豊かに描いていたのに、諸々引っかかり、どっぷり映画に浸れなくて残念でした。とここまで感想書いて、ちょっとネットを除いたら、驚愕の事実が。原作では時子は息子を連れて再婚。夫とは夫婦関係がなかった設定らしい。これ重要なポイントですよ。何故描かない?映画ではすっぽり抜けています。映画では、夫の稼ぎも充分な有閑マダムが、寂しさを理由に浮気している風な描き方です。実際私は時子の不倫を、情の濃さを持て余した果てと取りましたから。原作通りなら、抜本的に時子の見方が変わります。最後まで謎が多い作品です。
01月30日(木)
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