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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「セッションズ」
マークの切なる願いが叶えられた時の描写が秀逸。事後、満ち足りたてキスを交わす、障害者の青年と中年女性の笑顔は、今まで観たたくさんのセックスシーンの中で、一番美しく愛に溢れていました。自分勝手なだけのセックスは、ただの排泄行為でしょう。相手にも感じて欲しい、その思いやりの気持ちが愛を育むのだと、私は思います。

セラピーは6回限り。同じクライアントとは接触しない。踏み込んだ感情を持ってはいけない。シェリルが出した切ない提案は、二人の良き「セッション」を破綻させない為だったと思います。セックスの後の彼女の笑顔は、セラピストとしてではなく、女性としての笑顔でした。透明の壁を蹴ってしまいそうになったのですね。肌を重ねる事は、理屈ではなく、男女の距離を急速に近づけるものですから。

シェリルは上品で知的な素敵な女性です。それが何故このような仕事をしているか、想像しました。夫は働いていませんが、良人のようです。同じベッドで寝ていて、スキンシップもあるのに、セックスの場面は出てきません。妻の仕事は知っていて、聖母のようだと賛えます。う〜ん(笑)。「夫を愛している」「セックスが好き」と語る彼女。夫は病気か何かで、仕事やセックスが出来なくなったのかも。子供もいるし、大黒柱として生計を立てる為の仕事かと思いました。妻に送った素敵なマークの詩に、夫が嫉妬した事は、何か救われたような気がしました。

ここまでも充分秀作だと思っていた私ですが、その後の怒涛の展開に、本当に大感激。気にかかる女性に、「僕、童貞じゃないんだよ」と、いたずらっぽく笑うマークに、あの劇場にいた観客全員が、微笑ましくクスクスと笑ったはず。しかしこの言葉は、彼の人生で欠落していたものを、埋めたのでした。

男女が愛し合えば、肉体的に結ばれたいのが当然です。言われた人は、マークが障害者であると共に、男性としても認識してくれるでしょう。シェリルとセックスした事は、マークに男性としての誇りをもたらしたのですね。

人間とは、全ての人が欠落した何かを抱えているものです。それは、銀の匙をくわえて生まれてこようとも、同じ。自分を完全無欠だと思っている人は、ただの思い上がりです。努力しても改善できない時は、誰を恨むでもなく、受け入れるのです。諦めは絶望に繋がるけど、受け入れる事は、希望を失わない事、出来る事を探す事でもあります。

絶対絶命のピンチに立った6歳の少年は、途方もない年数をかけて、ひとつひとつ、人としての誇りを得ていく。教育を受けて、職を得て自活し、恋をし恋に敗れ、人妻をよろめかせ、そして・・・。立派な男としての人生ではないですか。この作品は、障害者の性を描きながらも、根源的な人としての在り方を学ばせてくれるのです。

ホークスは実年齢ではヘレン・ハントより上なのですが、若々しくてびっくり。とにかく少年のように瑞々しく、チャーミング。ネバネバした特有の後遺症を感じさせる台詞回しも、愛嬌に感じるほどです。すっかり魅了されました。ハントは半分は全裸です。年齢から思えば、とても勇気のいる役です。彼女の知的で清潔感のある役作りも、作品をキワモノから救っています。
ロックな神父さん、メイシーも、人間臭くて良かったし、ブラッドグッドのクールビューティーぶりも素敵でした。

大昔、知的と身体に障害を持つアメリカの女性が、24時間介護を付けて、ひとり暮らししている様子を、ドキュメンタリーで観ました。彼女の生活をコーディネートしている福祉関係の男性が、「こんなに重度の障害を持っていても、一人で自活できる。人間とは強いものだと学ばせて貰って、彼女には感謝している」と答えて、私はびっくり。当時の私は、彼女は偉いけど、人の世話になっているとしか、思えなかったから。

長い年月を経て、彼の言葉は本当だと、やっと納得しました。マーク・オブライエンの愉快な人生は、私に人としての誇りを失わなかったら、人生は切り開けるもんだよと、学ばせてくれたのです。そして人生とは愛だ!と、大声で笑顔で叫びたい気分です。私はこの作品に感謝しています。

01月09日(木)
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