ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927750hit]
■「17歳のカルテ」
人格障害の人は虚言癖もあり、それで周囲が振り回されます。母の葬儀の時、叔母の一人が、「姉ちゃん、頭が良くてセンスもよくてな。でも小さい時から嘘ばっかりつくって、お祖母ちゃんがよく困っていた」と言う言葉も、今の勤め先で働きだしてから、意味がわかりました。話を盛る程度ではなく、事が真逆の内容の事もしばしばで、母の場合困った事に、自分の創作した話が、いつの間にかそれが真実になっている事でした。
思春期になると、母はよその家のお母さんとは違うと、ぼんやりわかってきます。人より抜きん出た気の強さと、父や自分の親族との不仲のため、母は神経を疲弊させていたからだと、私は思っていました。ある日いつものように包丁を取り出し、「あんたがわかってくれへんねんやったら、お母ちゃん生きてても意味ないから、今から死ぬわ!」と言う母に、当時18歳だった私は、「死にたかったら死んだらええやん!もう勝手に死んで!」と、大声で泣き、謝らなかったのです。へなへなとその場に座り込んだ母は、たった一度私に謝り、それ以降は私の前では自傷しなくなりました。妹の前ではしてたみたいだけれど。その時の姿が、「誰も私の背中を押してくれない」と、泣きまくるアンジーに重なりました。この母と対峙する事でいっぱいいっぱいだった私は、自分自身をコントロールできない母の辛さは、全くわかりませんでした。
幸いにも、母の状態が出るのは身内だけ。これは今でも心から良かったと思っています。
ぼんやりだった母の輪郭がくっきりしたのは、結婚後。母から離れてからです。そんな生い立ちなので、何者かになるほど賢くもなく、不良に成るほどバカでもなかった私は、この家庭から脱出するには、結婚するしかないと思い込んでいました。せっかく生まれてきたのだから、一度は幸せだと言う思いを抱きたかったのです。しかし母が私や妹に吹き込んでいた父の人間としての欠陥を、何と夫も共有している。暗澹たる気持ちの新婚の私が、でもそれは、「男」だからなのだという解釈に到達したのは、それから程なくです。
結婚するまでの私は、幸せだと思った事は一度もないけど、でも不幸だと思った事もありません。それは母が何を言っても、父親が頑張って贅沢な暮らしをさせてくれた事への感謝の気持ちを、私が持っていたからでした。破天荒で4度の結婚離婚を繰り返した父ですが、母からモンスターのように吹き込まれていた父も、また母を持て余していたのだと気づくと、家庭を顧みなかった父への憎しみも、消えていくのがわかりました。
何故母は気づかなかったのだろう?母の四面楚歌状態は、実は自分がチョイスし、作り出したものだと解釈していくと、母親としての力量も足らない、こんなか弱い人が、家庭を顧みない夫の分までと、必死になって私や妹を育てたのかと思うと、180度違う人に思えました。「お母ちゃんは、父親も母親も兼ねられる器のある人間」と豪語して、私をしらけさせた母。実は自分を奮い立たせる言葉だったのだと、気づいたのはずっと後年です。
人格障害を克服するには、どうすればいいのか?と、うちの先生に尋ねたところ、「自分が変わりたいと言う強い意思が必要なんです」と回答を得ました。この作品で、正にそのシーンがありました。ブリタニーの自殺にショックを受けたウィノナが、涙ながらに「変わりたい」と、ウーピーに抱きつく場面で、涙が止まりません。それが如何に困難か、私にもおぼろげながらわかるからです。この作品は当時アンジーにばかり賞賛が集まり、これ程好演していたウィノナは、批評家から無視された事にご立腹だったとか。しかしそれは、演じた役柄のせいではないかと思います。立ち直った(そもそも人格とは一見わからない)スザンナより、強気な外見を装いながら、実は自分を持て余し、世間からも疎まれる者の哀しみや孤独が、リサの造形に溢れていたからでしょう。世間は弱い人に同情するものです。もちろんアンジーの好演あってのことですが。
[5]続きを読む
08月09日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る