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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「愛、アムール」
妻の口が不自由になってからも、夫は妻に話しかけ歌を歌います。一生懸命「アヴィニョン橋」を歌う妻。子供の頃の記憶が蘇るのでしょうか、愛らしく童女のようです。そうかと思うと、オムツ交換や食事介助の困難、始終痛い痛いと叫ぶ妻の、痛々しい様子もありのまま映します。私が印象に残ったのは、妻が看護婦に入浴させてもらっている姿を、離れて哀しげに夫が見つめている様子です。妻は当然裸体。かつて何度も繰り返し見たはずの裸体です。老いた妻の裸には夫婦の愛の歴史も詰まっているはず。手伝うのではなく、やりきれず目をそらす夫の気持ちが、とても理解できました。

一年には四季があります。冬来りなば、春遠からじ。必ず春は巡ってきます。人生にも四季があると私は思います。春が過ぎ夏が来て。でも過ぎ去った春も夏も、もう二度と戻ってはきません。哀しいかな、その事に気付くは、人生の秋や冬です。そして冬の先に厳冬が待っている時もある。しかし今が厳冬だからと言って、美しい春や夏は、その人の人生から消え去るのでしょうか?妻の今の状態は、晩節を汚しているのか?そんな事は絶対にない。長く美しい人生の終盤のひとコマだと、私は思いたいのです。厳しい介護の様子を描きながら、何気ないながら、豊かでチャーミングな会話を随所に挟んだのは、私はその為だったと思っています。

何故厳しい介護を通じて人生の美しさを描くのか?70代で大学を卒業し、マスターズ陸上で90歳の人が記録を出し、それは称えられるべき事です。でも皆が出来ることでしょうか?あえて裕福な老人を主役にし、誰にでも平等に来る事柄を題材にして、人生を肯定して欲しいと、監督は思ったのではないでしょうか?決して皮肉で選んだ題材ではないと思います。

BGMはなく、食器のカチャカチャ鳴る音、水道の蛇口の音など、セリフ以外は、ほぼ生活音が響くだけです。日常の暮らし=生命のように感じました。CDやピアノが奏でられるのですが、それは彼らの過去を浮き彫りにしていると感じます。

一羽の鳩がマンションに飛び込みます。22年前、危篤の母の傍らに沿っていた私は、季節外れの蠅が迷い込んだのを見つけます。不衛生なのに、この蠅を殺したら、母まで亡くなってしまう気がして、私は泣きながら窓を少し開けました。母は55歳でした。夫は鳩をどうしたか?娘への手紙には「開放」と書いています。妻は母より30歳前後年上です。私も開放だと思いました。

今までのハネケなら、ここで終わるはず。しかし今作では、雪解け後の春の日差しを感じる場面が映るのです。夫の行いを肯定しているのだと感じました。「もう終わりにしたい」。初めの段階で、妻はそう語っていました。やっと私の気持ちを受け入れてくれて、ありがとう。妻の微笑みはそう感じさせます。

オスカー受賞のジェニファー・ローレンスも見た、素晴らしい演技で個人的にはジェニファーを優っていると思ったジェシカ・チャステインも見た。でも今年のオスカーの主演女優賞は、エマニュエル・リヴァに捧げるべきだと、心底思いました。与えるのでなく、捧げると。教養ある美しい老婦人の頃から、寝たきりとなり認知症となっても、魂は変わらぬと教えてくれました。その真骨頂が、無理やり口に入れられた水を吐き出すシーンです。その後、夫が思い余って妻の頬を打つ姿には号泣させられましたが、謝る夫に、無言で怒りに燃えた表情を見せる彼女の、凛とした気高さは本当に感動しました。

繊細な知性派俳優として、数々の名作で観たトランティニャンは、本当に久しぶりに観ました。彼も82歳、最初はすっかり老人になり寂しかったのですが、声を聞き、あぁ彼だと嬉しくなりました。声を荒げることもなく、静かにこの状況を受け入れるジョルジュ。しかし刻々と彼が追い詰められていく様子が、手に取るようにわかるのです。手伝ってくれる管理人の労いに、「ありがとう」と言う時の、心ここにあらずのそっけなさ。この状況に励ましなど、何の値打ちもないのだと、痛感しました。トランティニャンの演技も、本当に素晴らしかったです。


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03月14日(木)
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