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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ふがいない僕は空を見た」
助産院まで誹謗の対象になっているのに、「あのバカ」としか言わず、怒りもせず学校へ行けとも言わない卓巳の母。その代わり、一緒に恥をかく。冒頭書いた台詞を聞いた時、子供を見守ると言う事は、こういう事なのだと涙が溢れました。思えば苦境に陥る良太を観ながら、私は泣けませんでした。それは良太が歯を食いしばり耐えたから。彼は泣かないのです。知らず知らずに見守る気持ちになっていたのでしょう。私が泣いたら、彼を見守れないもの。卓巳の母のお弁当の気持ちが初めて良太に届いた後は描かれませんでしたが、今後の事は卓巳の母に相談すると思いました。
私も子供に何か特別な事をしてやった母親ではありません。心がけたのは毎日の食事は出来るだけ自分の手で作り、お弁当もしっかり作る。中学を卒業するまでは、子供が家に居る時は私も遊びに出掛けない。仕事以外では帰宅を待って「お帰り」と迎える。それだけです。卓巳の母も、安定した病院の助産師を辞して、自宅で運営の大変な助産院を開いたのは、理想のお産を目指すだけではなく、卓巳の為だったのかも知れません。きっと卓巳の父親が出奔してからなんだろうなぁ。
助産師として、生まれてすぐ亡くなる子供について言及する卓巳の母。何故生まれてきたのか、未だにわからないと。それは私もいつも考えている事です。死産もしかりですが、生まれてすぐ殺されるために生まれて来たような赤ちゃんの事を聞くと、いつもいつも暫く考えてしまいます。何かを親に教えるため?それだけでは、あまりに赤ちゃんたちが不憫です。少しでもそれを探りたくて、たくさんの命を守って下さいと祈る卓巳の母に、とてもとても共鳴したのが、私がこの作品が好きな理由です。この作品に出てくる母親三人は、みんな夫がいません。母親の在り方が、子供の人生を左右すると言われている気がしました。
人間は皆、何かしら欠落を抱えて生きています。それをどう捉えるか、どう対処するかによって、人生が変わって行くと思うのです。逆境を経て各々自分なりの身の施しを学んだ様子が映され、嬉しく思いました。女性だけど男前の助産師みっちゃん先生(梶原阿貴)の痛快さも、お見逃しなく。
11月23日(金)
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