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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ビー・デビル」
私の夫はと言うと、新婚当時から毎日仕事帰りにパチンコ屋で「蛍の光」が流れるまで滞在、当時某スポーツ団体の事務方もしていたので、仕事休みはほとんどそっちに(もちろん無給。家から持ち出しまであり)。初めての妊娠でつわりで寝ていりゃ「つわりで寝ている嫁なんか、聞いたことない!」と詰られ、予定日より10日早く破水して、夫の職場に病院からすぐ来るようにと言われたと電話すりゃ、開口一番「今からパチンコ行こうと思っていたのに」と鬱陶しそうな声。帰宅すりゃ「子供が男でなければ帰ってくるな」。子供が生まれれば少しはましかと思いきや、私が乳飲み子を抱えて熱を出しても、「大丈夫か?」と言いつつ遊びには出掛けて行き、子供が熱を出しても仕事帰りは当然パチンコ。おろおろして病気の子供の世話をする新米母の私に、「夫が仕事して帰ってきたのに、飯も出来てないのか!」と怒鳴る。最初の子で大変だから、妻の手伝いをするという気なんぞ、全くなし。年子の次男が生まれてからも同じようなもん。あげく子供が小さいからと、自分だけ友人とスキーや旅行三昧で私と子供は置いてけ堀。当然家事も子育ても全く手伝いません。長男の時も次男の時も、臨月間近の私を置いて徹夜マージャンなんか平気の平左。少しでも私が抗議するもんなら、女が男に「口答え」するなんて生意気な!とちゃぶ台返し。私は「口の達者な女」なもんで、時には手もあげられました。優しい言葉なんか、かけてもらった記憶はありません。
口を開ければ、夫に尽くしぬいた自分の母親の賛美。お前なんか何が不満なんだ、もっと尽くせという事です。とにかく自分が一番大事。妻は人生のパートナーではなく、自分の人生の添え物です。妻は妻でも刺身のツマなわけ。何度共に歩きたいと訴えても、意味すらわからない。そういう人を観たことがないから。私の父親は84歳、「昔は女なんか、男のついでに生きとったもんや」と平気で言い放ち、同年代の友人は男兄弟と格段に差別され、「ほんま、女はぼろ雑巾の環境やったで」と言います。
これ全て実話です。他にもたっくさん!一晩中話せるくらいこの手の話はあります。
まっ、夫にも言い分はあるようで、結婚当時先輩たちとやらに、「女は最初が肝心。夫のいう事には素直にハイと言うように結婚当初は厳しく躾けること。そうしないとつけあがる。」と言われたそう。年に数回の家族サービス、私や子供の誕生日にはパチンコに行かない、他には
薄給の給料袋を封を切らずに渡す、浮気はしていない、そして口には出さずとも家族の事は、心の底から思っているから、自分は充分良い夫だと自信があったそうです(火爆)。はぁ?当然以下の世界。ちなみにその先輩たちとやらは、妻から引導渡されて、続々離婚しています。
書いていて当時を思い出して涙が出ちゃうわ。夫の名誉のため、一応付け加えておきますが、今は大人しいもんです。言い合いになると自分から謝り、私が睨むと上げた拳も下ろします。家事だって少しは手伝います。毎日私の顔色見てます。当然です(きっぱり)。結婚して10年経って三男が生まれた頃くらいでしょうか?夫が徐々に優しく変わってきたのは。正に姑の言うように、韓国の女は「泣かないと幸せにはなれない」のです。しかしそこには、私が男の子ばかりを産んだから、と言うのがあったはず。夫は否定するでしょうが。
何故私が辛抱して離婚しなかったか?儒教精神ではありません。私は不仲の両親の元に育ったため、必ず幸せな家庭を持ちたいと強く思っていたこと。それと母親が私が結婚して6年目に亡くなり、帰る家がなかったからです。この作品のボンナムも、幼い時に両親を亡くしたと思われ、学校にすら行かせてもらえなかった描写が出てきます。そして子供。私の母は生前、「子供が生まれたら、夫に人質に取られたと思え」とよく言っていました。今の日本はシングルマザーも珍しくなく、それだけで差別されるなどないでしょうが、韓国では根強く父親の存在が尊重され、父親の居ない子には差別があります。劇中ボンナムが「やはり子供には父親がいないと・・・」と言いますが、聞き過ごしてしまいそうなごく普通の言葉の裏には、重い事情が隠されています。
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04月18日(月)
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