ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927713hit]

■「死にゆく妻との旅路」
妻は自分が癌であることを知っていました。遠からず自分は死んでしまう、その心がいつもの彼女ではない彼女にしたのだと思います。そこには娘を託せる人が出来たという安心感もあったでしょう。しかしそれ以上に、激痛が襲っても絶対に病院はいやだと言う妻から、いつもいつも夫を待ち続けるのがどんなに寂しかったかが、伺えます。死期を感じた今、一度夫と離れたら、もう二度と一緒になれない気がしたのだと思います。

各地を転々としながらその土地のハローワークに出向くも、50を超えた中年男に、全く職はありません。それは選んでいるからだという人もいるでしょうが、本当にこれが現実です。しかし絶望しないのは、二人がいっしょだからです。

現実感薄く、まるで夫婦で旅をしているようだった二人ですが、ひとみの癌が進行してからは一転、夫の介護が始まります。甲斐甲斐しく妻を看病する夫は、どんなに妻が我がままを言っても、「おっさんと結婚したために、こんなことになったんや!」と罵倒されても、一切怒りません。こんな温厚な夫ではなかったはずです。旅の中、何も無くなった自分に喜んで添ってくれる妻に、今までの自分の人生を反省していたのでしょう。妻をこんな環境に置かなければならない、夫としての不甲斐なさを全身で表す場面が秀逸です。この旅は、夫の妻への贖罪の旅でもあったはずです。

しかしこの夫は、途中で妻を捨てることも、妻だけ娘に預けることも、病院に置き去りにすることもしませんでした。妻の願い通りにしてあげた。それは成り行きではなく、夫の意志です。夫は妻の信頼した通りの人であったのです。この人が一番愛しているのは私だ、そういう確信があったからこそ、妻は長年待つことができたのだと思います。

事実妻が亡くなると、夫は妻の遺体と共に故郷へ帰ります。あんなに逃げ回っていた人が。それは途方にくれたのではなく、妻をきちんと葬りたいからだったと思います。ワゴン車の中のそこかしこの妻の残り香を感じ、娘の前で男泣きに泣く夫。この場面の描き方が本当に辛くて。娘など目に入らないのです。しかし物凄い勢いで父をなだめる娘に、ああこの子がいてくれて良かったと、心底思いました。だって夫はこれからも生きていかねばならないのだから。夫は一人ぼっちではないのです。

夫は警察に捕まりますが、妻が不幸だったとは、私はとても思えません。むしろ結婚以来一番幸福だったのではないでしょうか?人にいっぱい迷惑もかけ恥も晒したはずの二人。夫を演じた三浦友和の「この行いが正しかったのか間違いだったのか、わからない」の言葉通り、私もわかりません。ただ私ならしなかったと思う。でもそれは今の私が働いて世間も知り、自分の自由な時間を持って、夫だけを待つ生活をしてないからだと思います。この妻の気持ちは、10年以上前の私です。本当に痛いほど妻の気持ちがわかりました。

三浦友和が絶品。50才を超えて絶好調な人ですが、本来の誠実な持ち味が生かされ、久典の造形に限りなく説得力を持たせています。石田ゆり子も、私が知る限りベストアクトです。彼女の持つ透明感のある美しさや少女っぽい雰囲気が、ちょっと浮世離れした妻の哀歓を、本当に素敵に演じていました。

しかし彼女はこのため減量もしたというのに、それが生かされていません。やつれ方が中途半端なのです。死ぬまで眉とアイラインが施されていましたが、ここはしない方が絶対良かったな。折角の熱演に水を差していました。

各地の風景が、異邦人である二人を優しく包んでいたようで、その土地土地の優しさや厳しさ、生活の息吹を感じました。特に撮影で美しいと思ったのが夕日の描写。この二人は人生で言えば夕暮れです。本当に美しく、彼らが夕日を観て自分たちを奮い立たせていたのが印象的でした。

私は原作は未読なので、この感想は映画からだけのものです。確かに少し美化して描いていたきらいはあり、実際はもっと喧嘩もあったり壮絶な介護もあったかもしれません。しかしリアリティさえあれば良いというものではなし、ありふれた夫婦の特異な一年間を描くことで、夫婦としての至高の愛情を感じたのですから、私はこれで良かったと思います。


[5]続きを読む

03月08日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る