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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「あの日、欲望の大地で」
対するニックの家庭は、平凡などこにでもある家庭にように描かれていました。兄と弟であるサンティエゴの父への思いの違いで、ニックを浮かび上がらせています。同じ親の元に生まれても、兄弟によって微妙に親は違う人のように感じるものです。家庭的だったはずの父の全てを否定し、母の心を慮る兄に対して、父を恋しく思うサンティエゴ。サンティエゴが、何故父が不倫したのか、そのことを娘を通じて知りたいのは、自然なことだと感じました。

不審に思いつつ、サンティエゴを受け入れるマリアーナ。これも自然な演出で、彼女もサンティエゴと同じ理由かと思っていたのですが、マリアーナは、誰にも言えない罪を犯していました。そのことへの贖罪・逃避、それがいつしか幼い愛に変化していく過程を、本当に瑞々しく描いています。

マリアーナが出奔し、シルヴィアとなったのは、母から自分へ受け継がれている血を、娘も受け継ぐのが怖かったから、と彼女自らの口から語らせます。ラストまでこれで行きますが、それでは少し底が浅いです。多くの男に身を任せ、愛も快楽もないセックスに身を任せた彼女は、母の血を感じるはずはないのです。ジーナとニックのセックスには、愛も快楽もありました。彼女はその事を目の当たりにしています。

ジーナはどんなにニックとの逢瀬が生きがいとなっても、子供は捨てませんでした。子供がいたから、一度はニックと別れようともしたのです。しかしマリアーナは、子供を捨てた。彼女がそのことに気付き、母への思いを新たにする必要があると、私は思います。この辺の複雑な感情を、「淫蕩な血」とだけで始末をつけようとするのは、それ以外が完ぺきなだけに、非常に不満です。

ジーナの役にキム・ベイシンガーを持ってきたのは大正解。老いの兆しを見え隠れさせつつ、今でも豊かな美しさを誇る彼女が演じるからこそ、女でなくなる恐れと哀しみが、観客に深く届くのだと思います。シャーリーズ・セロンも、美しく撮られようとせず、荒んだシルヴィアの内面を表現することを一番に演じているのがわかります。ヌードも映していますが、決して美しくはなく、ここにも彼女の荒んだ日常が表現されていました。ただの美人女優で終わるものかという、セロンの気迫が伝わってくるようです。

そしてびっくりしたのが、若き日のマリアーナを演じたジェニファー・ローレンスが、あまりに上手かったこと。ティーンエイジャーなのに、笑うシーンもほとんどなく、自分の身にふりかかった不幸を受け入れながらやり切れない、そんなマリアーナを演じて出色でした。他にも娘のマリアを演じた、子役のテッサ・イアの瞳の強さも印象的でした。

生後二日目以来会っていない12歳の娘に、「ボーイフレンドは?」と尋ねるシルヴィア。そんなことしか言えない情けない母親です。しかし最初は反発しながらも、母に心を開こうとするマリア。父サンティアゴの確かな愛情を受けて育ったのがわかります。サンティアゴは、娘の血に流れるマリアーナの存在をも、ずっと愛し続けてきたはずです。シルヴィアがマリアーナに戻るには、サンティアゴと娘マリアの愛情が必要なはず。そう予感させる、密やかな幸福感に包まれたラストが、深い余韻を残す作品でした。

10月01日(木)
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