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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「チェンジリング」
精神病院に入ってからの描写も、警察の腐敗の深さを表しています。立場の弱い女性は、少しでも警察関係者に楯突くと、皆この病院に送られて口封じされてしまいます。人権の尊重など皆無の管理の中、医師や看護師に至るまで、警察の支配下に置かれている様子が描かれます。その冷酷な様子が克明に描かれていて本当に恐ろしい。ただ私が非常に感銘を受けたのは、クリスティンがシングルマザーであったり、入院患者に娼婦がいても、「警察への抵抗」のみが描かれていて、直接彼女たちへの偏見の様子は描いていなかったことです。ひとくくりに弱者の立場の女性でした。当時はそうではなかったでしょう。やれクリスティンはシングルマザーで不道徳だとか、仕事に行ったがため、息子は寂しさから家出したのだの、実話なのでゴシップ記事は溢れてもいいようなものです。しかしそんな卑しい描写は、一切ありませんでした。その事で権力者側につく医療者女性の酷薄さも浮かび上がるし、腐敗した警察と闘うというテーマの的も絞れます。当時では珍しかったであろう、生き生き働くクリスティンの会社の同僚達の様子なども含め、監督の母性だけではない、女性性への尊重を感じました。
クリスティンを救ったのは、直接には教会の長老グリーブレク牧師(ジョン・マルコヴィッチ)です。しかし親切心だけではなく、クリスティンを広告塔に使って、自分たちの勢力を拡大させようとする野心も少し感じさせる牧師。しかしここからのクリスティンは、牧師の思惑より大きな人となります。この事件から自分に課せられた使命を痛感したのでしょう。ここが私が本村さんを思い出した所以です。
あるテレビ番組で彼の特集が組まれた時、「事件当時は何故自分がこんな目に遭うのかと嘆き悲しんだ。でも今は自分だからこそ、与えられた試練だと思っている」と答えられていました。そして殺人事件の遺族の人権を訴える活動をすることは、会社に迷惑をかけるからと、社長に辞職を申し出たところ、「社会人の肩書があった方が、聞く人の心に届くのではないか?休みは取っていいので、会社にいなさい」と返答されたそうです。特集最後に映されたこのシーンが、私は忘れられません。牧師のその後の動向は、この社長さんのように、クリスティンに触発されたのかも知れませんね。
クリスティンは最初から人権問題まで幅を広げて活動しようと思っていたわけではありません。最初から最後まで、ただ息子が見つかりますように、それだけを願っていました。彼女のその心が、上司であるジョーンズ警部に逆らって捜査をしたヤバラ刑事の勇気、精神病院でクリスティンを助けようとする患者のキャロルの反骨心を呼び起こしたのだと思うのです。そして「地獄に堕ちたくない」と罪を告白する少年の心も、彼女の思いが神に通じたのかも知れません。
法廷で「この裁判は公平ではない」と語るある被疑者。私もそう思う。彼こそ、精神鑑定が必要だと思うからです。もちろんそれで罪が帳消しになんてなりませんが、この言葉もまた、重要なこの作品のテーマと重なりました。
たった一つ不満だったのは、ウォルターを名乗る少年の背景がまるで語られていないこと。何故嘘をついたのかは、子供らしい理由ですが、何故長期間平気で母ではない人を、「ママ」と呼べたのか、不思議でなりません。実の親には虐待されていたとか、施設で育って、母と言うものの存在を確かめたかったとか、この辺は実話通りではなく脚色しても良かったかも。「私を母と呼ばないで!」と、怒りを爆発させながら、後で年端もいかない子に何てひどいことをと反省する、母親ならではの感情の起伏を、アンジーがとても繊細に演じてくれていたので、余計不満が募りました。
ラストで描かれるエピソードは、息子を誇りに思って一生を送れるよう、クリスティンへのプレゼントでした。しかしそのため、彼女はその後も息子に人生を賭けてしまったのだなと、エピローグで語られます。でもそれは不幸でしょうか?一筋の希望を胸に抱いてその後の人生を歩んだ彼女は、人が思うより、私は幸せだったと思います。
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02月22日(日)
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